・・・機械の運転する響き、職工の大きな掛声、薄暗い工場の中に雑然として聞えるこれらの音が、気のよわい私には一つ一つ強く胸を圧するように思われる――裸体の一人が炉のかたわらに近づいた。汗でぬれた肌が露を置いたように光って見える。細長い鉄の棒で小さな・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・り、あら、大きな蝶が、いくつも、いくつも雪洞の火を啣えて踊る、ちらちら紅い袴が、と吃驚すると、お囃子が雛壇で、目だの、鼓の手、笛の口が動くと思うと、ああ、遠い高い処、空の座敷で、イヤアと冴えて、太鼓の掛声、それが聞覚えた、京千代ちい姐。・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・と反りかえった掛声をして、(みどり屋、ゆき。――荷は千葉と。――ああ、万翠楼だ。……医師と遁げた、この別嬪さんの使ですかい、きみは。……ぼくは店用で行って知ってるよ。……果報ものだね、きみは。……可愛がってくれるだろう。雪白肌の透綾・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
「しゃッ、しゃッ、しゃあっ!……」 寄席のいらっしゃいのように聞こえるが、これは、いざいざ、いでや、というほどの勢いの掛声と思えば可い。「しゃあっ! 八貫―ウん、八貫、八貫、八貫と十ウ、九貫か、九貫と十ウだ、……十貫・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 辻町は、欠伸と嚔を綯えたような掛声で、「ああ、提灯。いや、どっこい。」 と一段踏む。「いや、どっこい。」 お米が莞爾、「ほほほ、そんな掛声が出るようでは、おじさん。」「何、くたびれやしない。くたびれたといったっ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ というような掛け声で十四のおはまに揉み立てられた。「くそ……手前なんかに負けるものか」 省作も一生懸命になって昼間はどうにか人並みに刈ったけれど、午後も二時三時ごろになってはどうにも手がきかない。おはまはにこにこしながら、省作・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・さアとの掛声で棉もぎにかかる。午後の分は僅であったから一時間半ばかりでもぎ終えた。何やかやそれぞれまとめて番ニョに乗せ、二人で差しあいにかつぐ。民子を先に僕が後に、とぼとぼ畑を出掛けた時は、日は早く松の梢をかぎりかけた。 半分道も来たと・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 東京の闇市場は商人の掛声だけは威勢はいいが、点点とした大阪の闇市場のような迫力はない。 点点としているが、竹ごまのように、一たび糸を巻いて打っ放せば、ウアーンと唸り出すような力だ。 この力が千日前を、心斎橋を、道頓堀を、新世界・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ 公園のラジオ塔から流れて来るラジオ体操の単調な掛声は、思いがけず焦躁の響きだったが、私は何もしたくなかった。学校へも行きたくなかった。音楽も聴きたくなかった。映画も芝居も本も、面倒くさかった。歩くのも食うのも億劫だった。私には何一つするこ・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・剃刀屋のときと違って掛声も勇ましかった。俗に「おかま」という中性の流し芸人が流しに来て、青柳を賑やかに弾いて行ったり、景気がよかった。その代り、土地柄が悪く、性質の良くない酒呑み同志が喧嘩をはじめたりして、柳吉はハラハラしたが、蝶子は昔とっ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
出典:青空文庫