・・・』文学部事務所にその掲示は久しくかけられてあった。僕は太宰治を友人であるごとくに語り、そして、さびしいおもいをした。太宰治は芸術賞をもらわなかった。僕は藤田大吉という人の作品を決して読むまいと心にちかった。僕は、そんなに他人の文章を読まない・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・考えてみると、この先生と同じことをして無事に写真をとって帰って、生徒やその父兄たちに喜ばれた先生は何人あるかわからないし、この橋よりもっと弱い橋を架けて、そうしてその橋の堪えうる最大荷重についてなんの掲示もせずに通行人の自由に放任している町・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・獄門の晒首や迷子のしるべ、御触れの掲示などにもまたしばしば橋の袂が最もふさわしい地点であると考えられた。これは云うまでもなく、橋が多くの交通路の集合点であって一種の関門となっているからである。従ってあらゆる街路よりも交通の流れの密度が大きい・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ 午後九時から甲板で舞踏会を催すという掲示が出た。それに署名された船長の名前がいかめしく物々しく目についた。夕飯後からそろそろ準備が始まった。各国の国旗で通風管や巻き上げ器械などを包みかくし、手すりにも旗を掛け連ねた。赤、青、緑、いろい・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ある日の朝K市の中学校の掲示場の前におおぜいの生徒が集まって掲示板に現われた意外な告知を読んで若い小さな好奇心を動揺させていた。今度文学士何某という人が蓄音機を携えて来県し、きょう午後講堂でその実験と説明をするから生徒一同集合せよというので・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・処々の交番なり電車停留所に掲示するもいいだろうし、処々に信号の旗を立てるもいいだろう。 不幸の広告なども一週間とは待てない種類のものだと考えられるかもしれない。しかし私の考えでは、不幸の知らせは元来書状でほんとうの意味の知友にのみ出すべ・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・ 夜は忽ち暗黒の中に眺望を遮るのみか、橋際に立てた掲示板の文字さえ顔を近づけねば読まれぬほどにしていた。掲示は通行の妨害になるから橋の上で釣をすることを禁ずるというのである。しかしわたくしは橋の欄干に身を倚せ、見えぬながらも水の流れを見・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ 次の朝早く私は実習を掲示する黒板にこう書いておきました。 八月八日農場実習 午前八時半より正午まで 除草、追肥 第一、七組 蕪菁播種 第三、四組 甘藍中耕 第五、六組 養蚕実・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・分ぐらい遅れる事はあるし、自分の時計だって一分ぐらい進んでいないとは限らないなどと思いながら停車場へはいって行くと、そこの大時計はちょうど汽車よりも二分先へ出ていて、駅夫が次の汽車の時間を改札口の上に掲示している所であった。「あああと一・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫