・・・ この器械はいわゆる無ラッパの小形のもので、音が弱くて騒がしい事はなかったが、音色の再現という点からはあまり完全とは思われず、それに何かものを摩擦するような雑音がかなり混じていて耳ざわりであった。それにもかかわらず私の心はその時不思議に・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・物理学的に考えてみると、一度始まった弦の振動をその自然の進行のままに進行させ、そうしてそのエネルギーの逸散を補うに足るだけの供給を、弦と弓の毛との摩擦に打ち勝つ仕事によって注ぎ込んで行くのであるが、その際もし用弓に少しでも無理があると、せっ・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・ もしかりに宇宙間にただ一つ、摩擦のない振り子があって、これを不老不死の仙人が見ている、そして根気よく振動を数えているとすればどうであろう。この仙人にとっては「時」の観念に相当するものはただ一つの輪のようなものであって、振動を数える数は・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・ 第一は金だらいとコップとの摩擦によって発する特殊な音響の問題である。普通の琺瑯引きの鉢形の洗面盤に湯を半分くらい入れる。そうしてやはり琺瑯引きでとっ手のついた大きい筒形のコップをそのわきに並べて置き、そうしてコップの円筒面を鉢の縁辺に・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・これらの場合にはそのしびれた脚や腕の根元に近いところに着物のひだで圧迫された痕跡が赤く印銘されているのでそこを引っかき摩擦すればしびれはすぐに消散するのである。病気にもこんな風に自覚症状の所在とその原因の所在とがちがうのがあるらしい。 ・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・また昔レーリー卿が紅茶茶わんをガラス板の上ですべらせてみて、ガラスのよごれ方でひどく摩擦のちがうことを見て考え込んでいたことがあるが、これは近年になって固体や液体の表層に吸着した単分子層の研究の先駆をなしたものであった。これと似寄ったことで・・・ 寺田寅彦 「物理学圏外の物理的現象」
・・・とか「摩擦なき面」とか「一定の温度」とか一々枚挙に遑はないが、こういう言葉を如何に理解し如何に自然界に適用すべきかという事を実験の途中で漸次に理解させるが肝要であろうと思う。これを誤解すれば、物理学を神の掟のように思って妄信してしまうか、さ・・・ 寺田寅彦 「物理学実験の教授について」
・・・海洋は摩擦少きも却って速度は大ならず。最も愚鈍なるもの最も賢きものなり、という白い杭が立っている。これより赤道に至る八千六百ベスターというような標もあちこちにある。だから僕たちはその辺でまあ五六日はやすむねえ、そしてまったくあの辺は面白いん・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ゴム靴の底のざりざりの摩擦がはっきり知れる。滑らない。大丈夫だ。さらさら水が落ちている。靴はビチャビチャ云っている。みんないい。それにみんなは後からついて来る。苔がきれいにはえている。実に円く柔らかに水がこの瀑のところを削ったもんだ。こ・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・ 明日の日本文学は、今日の現実の一面に肩を聳かしているこのような気分との摩擦から、或る微妙にして興味ある展開を示すものと思われるのである。社会の歴史は、犠牲をもっている。文学の歴史も、このことに於ては等しい。 世界文学の範囲にひろく・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
出典:青空文庫