・・・抜いて持った釵、鬢摺れに髪に返そうとすると、や、するごとに、手の撓うにさえ、得も言われない、異な、変な、悪臭い、堪らない、臭気がしたのであるから。 城は公園を出る方で、そこにも影がないとすると、吹矢の道を上ったに相違ない。で、後へ続くに・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・袖の撓うを胸へ取った、前抱きにぬっと立ち、腰を張って土手を下りた。この方が掛り勝手がいいらしい。巌路へ踏みはだかるように足を拡げ、タタと総身に動揺を加れて、大きな蟹が竜宮の女房を胸に抱いて逆落しの滝に乗るように、ずずずずずと下りて行く。・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・だって布袋竹の釣竿のよく撓う奴でもってピューッと一ツやられたのだもの。一昨々日のことだったがね、生の魚が食べたいから釣って来いと命令けられたのだよ。風が吹いて騒ついた厭な日だったもの、釣れないだろうとは思ったがね、愚図愚図していると叱られる・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・きつい雨で、見ていると大事な空地の花壇の青紫蘇がぴしぴし雨脚に打たれて撓う。そればかりか、力ある波紋を描きつつはけ道のない雨水が遂にその空地全体を池のようにしてしまった。こんもり高くして置いた青紫蘇の根元の土でさえ次第に流され、これは今にも・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・二人分を感じて、私の心は撓うようです。撓いつつ甘美な苦痛を感じて、折れないという自覚のよろこび。 抽象的なことを喋って御免なさい。でも時々はこれもいるのです。私の精神衛生の見地からね。ああ、私共は、沢山沢山感じて生きているのだからね。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫