・・・われわれが漢文の教科書として『文章軌範』を読んでいた頃、翰は夙に唐宋諸家の中でも殊に王荊公の文を諳じていたが、性質驕悍にして校則を守らず、漢文の外他の学課は悉く棄てて顧ないので、試業の度ごとに落第をした結果、遂に学校でも持てあまして卒業証書・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・同時にまた、教科書の間に隠した『梅暦』や小三金五郎の叙景文をば目の当りに見る川筋の実景に対照させて喜んだ事も度々であった。 かかる少年時代の感化によって、自分は一生涯たとえ如何なる激しい新思想の襲来を受けても、恐らく江戸文学を離れて隅田・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・文部省の教科書でも、ニイチェは大に賞頌して書かれねばならない。 最後に、僕自身のことを話さう。僕はショーペンハウエルから多くを学んだ。僕の第二詩集「青猫」は、その惑溺の最中に書いた抒情詩の集編であり、したがつてあのショーペンハウエル・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・然るに、徳教書編纂の事は、先年も文部省に発起して、すでに故森大臣の時に倫理教科書を草し、その草案を福沢先生に示して批評を乞いしに、その節、先生より大臣に贈りたる書翰ならびに評論一編あり。久しく世人の知らざるところなりしかども、今日また徳教論・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・午前中その実習をして放課になった。教科書がまだ来ないので明日もやっぱり実習だという。午后はみんなでテニスコートを直したりした。四月二日 水曜日 晴今日は三年生は地質と土性の実習だった。斉藤先生が先に立って女学校の裏で・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・千葉先生が、教科書以外に図書室から借りてよめるいくつかの本を教えられた。ヘッケルの『生命の神秘』という本もあった。文学の本は自分の滅茶な選択でもおのずから整理されてよめたが、文学以外の読書のひろがりを示して頂いたのは、ほかならぬ千葉先生であ・・・ 宮本百合子 「女の学校」
去年の八月からきょうまで、十四ヵ月ほどの間、日本じゅう幾百万の国民学校の上級児童は、日本の歴史教科書というものを失っていた。 小学校令が行われ、国定教科書で教えるという方法がきまったのは明治何年であったか知らない。けれ・・・ 宮本百合子 「『くにのあゆみ』について」
・・・ 健な筆で書かなければいけないんです。 流行的な気分を打ち破って澄んだ心を表わさなければいけないんです。 教科書よりも力のあるものだと云う事は忘れてはいけない事で、その読む人々の箇性を形ち造る一分子になる事を知らなければなりませ・・・ 宮本百合子 「現今の少女小説について」
・・・国民学校や中等学校は教科書が絶対に足らない。それは、そうなる。一冊三千五百円の教科書はないから。よしんば、親はその句集を買っても、子供の教科書は、人間の成長に入用な教科書だから、儲けがきまっているから、ない。文学の生活とその本の出版というこ・・・ 宮本百合子 「豪華版」
・・・秘密の罪悪を人に教える教科書だと言っても好い。あれ程危険なものはあるまい。作者が男色事件で刑余の人になってしまったのも尤もである。Shaw は「悪魔の弟子」のような廃れたものに同情して、脚本の主人公にする。危険ではないか。お負に社会主義の議・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
出典:青空文庫