・・・勿論そう云う暮しの中にも、村人の目に立たない限りは、断食や祈祷も怠った事はない。おぎんは井戸端の無花果のかげに、大きい三日月を仰ぎながら、しばしば熱心に祈祷を凝らした。この垂れ髪の童女の祈祷は、こう云う簡単なものなのである。「憐みのおん・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・この上はただ二三日の間、断食をさせるほかに仕かたはなかった。「それには入院おさせになった方が便利ではないかと思うんです」自分は多加志の容体はSさんの云っているよりも、ずっと危いのではないかと思った。あるいはもう入院させても、手遅れなのではな・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・その証拠にはナザレの大工の子は、四十日の断食しかしなかったようである。 又 悉達多は車匿に馬轡を執らせ、潜かに王城を後ろにした。が、彼の思弁癖は屡彼をメランコリアに沈ましめたと云うことである。すると王城を忍び出た後、ほっ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・二十八のフランシスは何所といって際立って人眼を引くような容貌を持っていなかったが、祈祷と、断食と、労働のためにやつれた姿は、霊化した彼れの心をそのまま写し出していた。長い説教ではなかったが神の愛、貧窮の祝福などを語って彼がアーメンといって口・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・私どもは以前、ただ戦争のことにつきましてあれが御祈祷をしたり、お籠、断食などをしたという事を聞きました時は、難有い人だと思いまして、あんな鼻附でも何となく尊いもののように存じましたけれども、今度のお米のことで、すっかり敵対になりまして、憎ら・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 八宗の中にも真言宗には、秘密の法だの、九字を切るだのと申しまして、不思議なことをするのでありますが、もっともこの宗門の出家方は、始めから寒垢離、断食など種々な方法で法を修するのでございまして、向うに目指す品物を置いて、これに向って呪文・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ただ蔵経はかなり豊富だったので、彼は猛烈な勉強心を起こして、三七日の断食して誓願を立て、人並みすぐれて母思いの彼が訪ね来た母をも逢わずにかえし、あまりの精励のためについに血を吐いたほどであった。 十六歳のとき清澄山を下って鎌倉に遊学した・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
なんじら断食するとき、かの偽善者のごとく悲しき面容をすな。 今は亡き、畏友、笠井一について書きしるす。 笠井一。戸籍名、手沼謙蔵。明治四十二年六月十九日、青森県北津軽郡金木町に生れた。亡父は貴族院議員、手・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・なんじら断食するとき、かの偽善者のごとく、悲しき面容をすな。キリストだけは、知っていた。けれども神の子の苦悩に就いては、パリサイびとでさえ、みとめぬわけにはいかなかったのである。私は、しばらく、かの偽善者の面容を真似ぶ。百千の迷の果、私は私・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 知ルヤ、君、断食ノ苦シキトキニハ、カノ偽善者ノ如ク悲シキ面容ヲスナ。コレ、神ノ子ノ言。超人説ケル小心、恐々ノ人ノ子、笑イナガラ厳粛ノコトヲ語レ、ト秀抜真珠ノ哲人、叫ンデ自責、狂死シタ。自省直ケレバ千万人ト言エドモ、――イヤ、握手ハマダ・・・ 太宰治 「創生記」
出典:青空文庫