・・・時に小禽、既に終日日光に浴し、歌唄跳躍して疲労をなし、唯唯甘美の睡眠中にあり。汝等飛躍してこれを握む。利爪深くその身に入り、諸の小禽、痛苦又声を発するなし。則ちこれを裂きて擅にたんじきす。或は沼田に至り、螺蛤を啄む。螺蛤軟泥中にあり、心柔に・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・家庭は、既に強権によって、破壊されている。真に人間の心と体とが暖り合う家庭を破壊しながら、あらゆる社会的困難が発生すると、女子はすぐ家庭へ帰れるかのように責任回避して語られる。けれども、私たちの現実は、どうであろう。私たちに、もし帰る家庭が・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・何か書けが既に重荷であるに、文壇の事を書けはいよいよむずかしい。新聞に従事して居る程の人は固より知って居られるであろうが、今の分業の世の中では、批評というものは一の職業であって、能評の功を成就せんと欲するには、始終その所評の境界に接して居ね・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・これら様々な感覚表徴はその根本に於て象徴化されたものなるが故に、感覚的作物は既に一つの象徴派文学として見れば見られる。それは内容それ自体が、例えば十一谷義三郎氏の諸作に於けるがごとく象徴としての智的感覚を所有したものとは同一に見ることが不可・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・人が自分を捨てる前に自分は既にその人を捨てているのである。自分は孤立の淋しさを恐れない。それを恐れるのは自分の独立と自由とが完全でない証拠に過ぎないから。自分が人を欲する時には人を征服して自分に隷属せしめる。自分の愛は、常に、自分を完成する・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
出典:青空文庫