・・・それらの新しい勢力は事実において日に日に土手や畠や河岸や蘆の茂りを取払って行きつつあるが、しかし何らの感化をも自分の心の上には及ぼさなかったのだ。黒煙を吐く煉瓦づくりの製造場よりも人情本の文章の方が面白く美しく、乃ち遥に強い印象を与えたがた・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・大正改元の頃にはわたくしも年三十六、七歳に達したので、一時の西洋かぶれも日に日に薄らぎ、矯激なる感動も年と共に消えて行った。その頃偶然黒田清輝先生に逢ったことがあるが「君も今の中に早く写真をうつして置け。」と戯に言われたのを、わたくしは今に・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ 大正十五年八月の或夜、僕は晩涼を追いながら、震災後日に日にかわって行く銀座通の景況を見歩いた時、始めて尾張町の四辻に近い唯あるカッフェーに休んだ。それ以来僕は銀座通を通り過る時には折々この店に休んで茶を飲むことにした。 これにはい・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・さんは、瞬きもせず余が黄色な面を打守りていかなる変化が余の眉目の間に現るるかを検査する役目を務める、御役目御苦労の至りだ、この二婆さんの呵責に逢てより以来、余が猜疑心はますます深くなり、余が継子根性は日に日に増長し、ついには明け放しの門戸を・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・しか往来しないで済むようになり、また他の線へ移る余裕がなくなるのはつまり吾人の社会的知識が狭く細く切りつめられるので、あたかも自ら好んで不具になると同じ結果だから、大きく云えば現代の文明は完全な人間を日に日に片輪者に打崩しつつ進むのだと評し・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・その時代に育ったエリカ・マンが民主主義の精神をもち、日に日につのるナチスの暴圧に反抗を感じたのは自然であった。エリカ・マンは、はじめ小論文や諷刺物語を書いて反ナチの闘争をはじめたが、一九三三年一月一日、ミュンヘンに「胡椒小屋」という政治的キ・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・傷の癒着と、こういう全身的な衝撃の余韻とがおなじテムポで消えないで、傷は日に日によくなっても、疲れが奥深いところにある。○ 鴎外の「妻への手紙」。明治三十七八年という時代の色、匂いが何と高いだろう。手紙の書かれた環境も、部分的ではあるが・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・ 日に日に育ってゆく、プロレタリア・農民の現実生活からはなれたパプツチキの作品が無批判にもてはやされたり、卑俗小説がはびこり得るのは、とりも直さずプロレタリア作家の技術が一般的に未熟で、大衆を捕える力に欠けている証拠ではないか。 ま・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・このことの中に、階級の半身としてある婦人大衆の文化水準を高め、日に日に高まる闘争とともに独得な芸術作品を創造させて行くための努力が、プロレタリア文化活動本来の性質として既に予定されているのだ。 一九三二年の国際婦人デーの記念として、日本・・・ 宮本百合子 「国際無産婦人デーに際して」
・・・ ターニャは日に日にゆっくり歩くようになり、あおい瞳や潤いある唇に張りきって重い大果物のような美しさを現した。寝たきりでいる視野の前に三尺だけひらいている廊下を横切って、金髪を輝かせながらゆっくりターニャの白いふくらんだ姿が通ると、日本・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
出典:青空文庫