・・・やっと旧道に繞って出たのよ。 今日とは違った嘘のような上天気で、風なんか薬にしたくもなかったが、薄着で出たから晩方は寒い。それでも汗の出るまで、脚絆掛で、すたすた来ると、幽に城が見えて来た。城の方にな、可厭な色の雲が出ていたには出ていた・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人の最もよく眼につく処に建てておいたが、その後新道が別に出来たために記念碑のある旧道は淋れてしまっているそうである。それからもう一つ意外な話は、地震があってから津浪の到着するまでに通例数十分かか・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・平野ではこれと反対に旧道の曲線を新道の直線で切っている場合が多いのである。人間の足と自動車とでは器械がちがうだけに「道路の科学」もまた違った解答を与えるのであろう。 航空気象観測所と無線電信局とがまだ霜枯れの山上に相対立して航空時代の関・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・わたくしが或日偶然六阿弥陀詣の旧道の一部に行当って、たしかにそれと心付いたのは、この枯れかかった桜の樹齢を考えた後、静に曾遊の記憶を呼返した故であった。 江北橋の北詰には川口と北千住の間を往復する乗合自動車と、また西新井の大師と王子の間・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・石ころ道の旧道を、冬ごもりの仕度に竹、木材、柴など背負い、馬につんだ農夫がうちつれだって下ってゆきます。高原の頂に国際観光ホテル建造中です。 この川が流れて千曲川に合します。この手前にやや濃い山の左手に長野がある。更に左手のこのハガキか・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫