・・・日本人はその声を聞くが早いか、一股に二三段ずつ、薄暗い梯子を駈け上りました。そうして婆さんの部屋の戸を力一ぱい叩き出しました。 戸は直ぐに開きました。が、日本人が中へはいって見ると、そこには印度人の婆さんがたった一人立っているばかり、も・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・いつもならば頭を枕につけるが早いかすぐ鼾になる人が、いつまでも静かにしていて、しげしげと厠に立った。その晩は彼にも寝つかれない晩だった。そして父が眠るまでは自分も眠るまいと心に定めていた。 二時を過ぎて三時に近いと思われるころ、父の寝床・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ と言うが早いか、瓜の皮を剥くように、ずるりと縁台へ脱いで赤裸々。 黄色な膚も、茶じみたのも、清水の色に皆白い。 学生は面を背けた。が、年増に限らぬ……言合せたように皆頭痛膏を、こめかみへ。その時、ぽかんと起きた、茶店の女のどろ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・お父さんあれ家だろう。あたいおぼえてるよ」「あたいだって知ってら、うれしいなァ」 父の笑顔を見て満足した姉妹はやがてふたたび振り返りつつ、「お父さん、あら稲の穂が出てるよ。お父さん早い稲だねィ」「うん早稲だからだよ」「わ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・弾丸が当ってくれたのはわしとして名誉でもあったろが、くたばりそこねてこないな耻さらしをするんやさかい、矢ッ張り大胆な奴は仕合せにも死ぬのが早い――『沈着にせい、沈着にせい』云うて進んで行くんやさかい、上官を独りほかして置くわけにも行かん。こ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・鴎外は向腹を立てる事も早いが、悪いと思うと直ぐ詫まる人だった。 鴎外は人に会うのが嫌いで能く玄関払いを喰わしたという噂がある。晩年の鴎外とは疎縁であったから知らないが、若い頃の鴎外はむしろ客の来るのを喜んで、鴎外の書斎はイツモお客で賑わ・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・「今日は、どちらが早いかよく気をつけていろ!」と、製紙工場の煙突は、怒って、紡績工場の煙突に対っていいました。「おまえも、よく気をつけていろ! しかし、二人では、この裁判はだめだ。だれか、たしかな証人がなくては、やはり、いい争いがで・・・ 小川未明 「ある夜の星たちの話」
・・・それから三十分も経ったと思うころ、外から誰やら帰ってきた気勢で、「もう商売してきたの、今夜は早いじゃないか。」と上さんの声がする。 すると、何やらそれに答えながら、猿階子を元気よく上ってきた男がある。私は寝床の中から見ると薄暗くて顔・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・つまり言うたら、手っ取り早いとこ乳にありついたいうわけやが、運の悪いことは続くもんで、その百姓家のおばはん、ものの十日もたたんうちにチビスにかかりよった。なんぼ石切さんが腫物の神さんでも、チビスは専門違いや。ハタケは癒せても、チビスの方はハ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・気がついたが早いか、立つとすぐ踊り出したりするのだ。兄はばかされたようでなんだか変だった。「このべべ何としたんや」と言って濡れた衣服をひっぱってみても「知らん」と言っている。足が滑った拍子に気絶しておったので、全く溺れたのではなかったと・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫