・・・前の晩一晩倉前のつめたい石の上で泣き明した青白い面やせた力ない男を前に置いてお龍は父親に代ってと云って最後の命令をあたえた。男は涙をぽろりと一つひざにこぼしてうるんだ目に女を見あげて二三歩ヨロヨロと女に近づいたまんま一言も云わず何のそぶりも・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・光君は気が狂ったように笑ったりふさぎ込んだりして夜を明してしまった。 翌日はまた春に有りがちなしとしと雨が銀線を匂やかな黒土の上におちて居た。落ちた桜の花弁はその雨にポタポタとよごされて居る。 光君は椽に坐って肩まで髪をたれた童達が・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・ 貰わない訳を彼は説明したかったのだ。けれども、何より肝腎の、「俺の心にすまんねえもの」を、云いとくに入用だけの言葉数さえ知らない上に、どういう訳だからどうなって俺の心に済まないのかと、いうことは、彼自身にさえよくは分っていない・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 如何程、熱心と誠意とで説明しただろう。 自分は、一大危機に面して居るのを覚えた。どうかして、彼女に理解し、納得して貰わなければならない。芸術家としての一生には、此から、猶此様なことが起らないとは限らない。その度に、斯程の誤解と、混・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
出典:青空文庫