・・・しかし日の光は消えたものの、窓掛けの向うに煙っている、まだ花盛りの夾竹桃は、この涼しそうな部屋の空気に、快い明るさを漂わしていた。 壁際の籐椅子に倚った房子は、膝の三毛猫をさすりながら、その窓の外の夾竹桃へ、物憂そうな視線を遊ばせていた・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・そうして明る年、進士の試験に及第して、渭南の尉になりました。それから、監察御史や起居舎人知制誥を経て、とんとん拍子に中書門下平章事になりましたが、讒を受けてあぶなく殺される所をやっと助かって、驩州へ流される事になりました。そこにかれこれ五六・・・ 芥川竜之介 「黄粱夢」
・・・日の暮には、まだ間があるので、光とも影ともつかない明るさが、往来に漂っている。木の芽を誘うには早すぎるが、空気は、湿気を含んで、どことなく暖い。二三ヶ所で問うて、漸く、見つけた家は、人通りの少ない横町にあった。が、想像したほど、閑静な住居で・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・が、後では毛利先生が、明るすぎて寒い電燈の光の下で、客がいないのを幸いに、不相変金切声をふり立て、熱心な給仕たちにまだ英語を教えている。「名に代る詞だから、代名詞と云う。ね。代名詞。よろしいかね……」・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ その杉を、右の方へ、山道が樹がくれに続いて、木の根、岩角、雑草が人の脊より高く生乱れ、どくだみの香深く、薊が凄じく咲き、野茨の花の白いのも、時ならぬ黄昏の仄明るさに、人の目を迷わして、行手を遮る趣がある。梢に響く波の音、吹当つる浜風は・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・事が、どうやら勢がなく、弱々しく聞えたと思うと、挙動は早く褄を軽く急いだが、裾をはらりと、長襦袢の艶なのが、すらすらと横歩きして、半襟も、色白な横顔も、少し俯向けるように、納戸から出て来たのが、ぱっと明るみへ立つと、肩から袖が悄れて見えて、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・市場の中は狭くて暗かったが、そこを抜けて西へ折れると、道はぱっとひらけて、明るく、二つ井戸。オットセイの黒ずんだ肉を売る店があったり、猿の頭蓋骨や、竜のおとし児の黒焼を売る黒焼屋があったり、ゲンノショウコやドクダミを売る薬屋があったり、薬屋・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・夜ならば、千日前界隈の明るさからいきなり変ったそこの暗さのせいかも知れない。ともあれ、ややこしい錯覚である。 境内の奥へ進むと、一層ややこしい。ここはまるで神仏のデパートである。信仰の流行地帯である。迷信の温床である。たとえば観世音があ・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・大阪の表情のあえかな明るさに、よしんばそれがそこはかとなき表情であるにせよ私は私なりに興奮したのである。明るさといい、興奮と言ったが、私は嘘を言っているのではない。商売柄嘘を書く才能は持っているが、しかし、いやそれだけに一層真実への愛は深い・・・ 織田作之助 「起ち上る大阪」
・・・駕籠かきが送ってきた客へのこぼれるような愛嬌は、はやいつもの登勢の明るさで奉公人たちの眼にはむしろ蓮っ葉じみて、高い笑い声も腑に落ちぬくらい、ふといやらしかった。 間もなく登勢はお良という娘を養女にした。樽崎という京の町医者の娘だったが・・・ 織田作之助 「螢」
出典:青空文庫