・・・只人間生活の歓び確信というものの、最も鋭い、最もニュアンスに富んだ、最も出来合いでないものの感じ得る陰翳――それによって明暗が益生彩を放つところの、動く生命力の発露として、苦痛をも亦愛し得るだけ生活的です。私があなたにあげる手紙の中で、我々・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・漱石が彼の最大のリアリズムで「明暗」を書きつづけつつ、その人生の脂っこさ、塵っぽさにやり切れないから、一日に一つは漢詩をつくって息をぬくのであると云って、白鶴に乗じて去るというような境地に逃げたことは、明治大正のヨーロッパ化した文学精神にお・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・が、一つの悲しみ、一つのよろこび、あるいは憧憬を、独自であって普遍な精神的収穫としてゆくために、わたしたちの眼は、錯雑する現実にくい入って、交錯した諸関係、その影響しあう利害、心理の明暗を抉出したいと欲する。芸術は、ますます生きつつあること・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・の軍隊生活という特別な、常識はずれな生活の立体的な空気、感情の明暗、それに抵抗している主人公三吉の実感が濃くうき上って来ない。戦友としての人間らしいやさしさ、同時に行われる盗みっこ、要領、残酷、猥褻、目的のない侮蔑。「軍服」の中でそういう軍・・・ 宮本百合子 「小説と現実」
・・・ 時代の明暗は、この同じ昭和二年に蔵原惟人の「批評の客観的基準」という論文を送り出している。これより先、印象批評に対して、「外在批評」ということが云われており、そのことでも、主張されるところは、文学の評価に何らかの客観的なよりどころを求・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 私は、漸く人間の心持の曲折や、ことには女の生活の明暗が、いく分身にひき添えてわかる時代に入って来た。 母の生活にあらわれる光りと翳を、女性のその時代、その年頃の生命の波だちとして感じられるようにもなり、ひいてそのことは、日本の世間・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・の活動にあった弱点から押しても、現在文学的野望に燃える多数の作家たちが、プロレタリア文学における独特な長所を発見しようと志し、同時に、芸術作品の構成の豊富さ、諧調における明暗の濃さ、力感のつよさなどを追求するのはむしろ必然だと思う。われわれ・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・ 磨かれた大理石の三面鏡に包まれた光の中で、ナポレオンとルイザとは明暗を閃めかせつつ、分裂し粘着した。争う色彩の尖影が、屈折しながら鏡面で衝撃した。「陛下、お気が狂わせられたのでございます。陛下、お放しなされませ」 しかし、ナポ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・二人にとって、時間は最早愛情では伸縮せず、ただ二人の眼と眼の空間に明暗を与える太陽の光線の変化となって、露骨に現われているだけにすぎなかった。それは静かな真空のような虚無であった。彼には横たわっている妻の顔が、その傍の薬台や盆のように、一個・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・そうして最後の『明暗』に至って憤怒はほとんど憐愍に近づき、同情はほとんど全人間に平等に行きわたろうとしている。顧みてこの十三年の開展を思うとき、先生もはるかな道を歩いて来たものだと思う。 その経路を概観してみると、『猫』の次に『野分』に・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫