・・・この若く美しい夫人がスクリーンで見る某映画女優と区別の出来ないほどに実によく似ていた。 橋を渡る頃はまた雨になって河風に傘を取られそうであった。大きな丸太を針金で縛り合せた仮橋が生ま生ましく新しいのを見ると、前の橋が出水に流されてそのあ・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ つい近ごろある映画の試写会に出席したら、すぐ前の席にやはり十歳ぐらいの男の子を連れた老紳士がいた。その子供がおそらく生まれてはじめて映画というものを見たのではないかと想像されたのは、映画中なんべんとなく「はあー、いろんなことがあるんだ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・それはとにかく、このヘリオトロープの信号は少なくも映画や探偵小説の一場面としてはこれも一遍だけは適当であろう。「モナリザの失踪」という映画に、ヒーローの寝ころんで「ナポレオンのイタリア侵入」を読んでいる横顔へ、女がいたずらの光束を送ると・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・おかみさんはまだ婆さんというほどではなく、案外垢抜けのした小柄の女で、上野広小路にあった映画館の案内人をしているとの事であった。爺さんはいつでも手拭を後鉢巻に結んでいるので、禿頭か白髪頭か、それも楽屋中知るものはない。腰も曲ってはいなかった・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・カッフェーの女給はその頃にはなお女ボーイとよばれ鳥料理屋の女中と同等に見られていたが、大正十年前後から俄に勃興して一世を風靡し、映画女優と並んで遂に演劇女優の流行を奪い去るに至った。しかし震災後早くも十年を過ぎた今日では女給の流行もまた既に・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・浅草の興行街は幸に空襲の災難を免れていたので映画の外に芝居やレビューも追々興行されるようになったから、是非にも遊びに来るようにと手紙をもらうことも度々になったので、去年の正月も七草を過ぎたころ、見物に出かけた、その時木馬館の後あたりに小屋掛・・・ 永井荷風 「裸体談義」
「愛怨峡」では、物語の筋のありふれた運びかたについては云わず、そのありきたりの筋を、溝口健二がどんな風に肉づけし、描いて行ったかを観るべきなのだろう。 私は面白くこの映画を見た。溝口という監督の熱心さ、心くばり、感覚の方・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・綜合雑誌の読者はこれらの作家によって書かれた報告的な文章を立てつづけて幾つかよまされているのであるが、果してこれ等のルポルタージュがニュース映画をその文学の特殊性によって凌駕しているという印象を与えつつあるだろうか。 ルポルタージュは観・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・だのを一つ一つ読んだりして理解することは一般民衆には出来ないのだから、一つあらゆるシェークスピアの作品を一つにぶちこんでとかして、その中から一つのストーリイをまとめて映画にでもすれば、日本の民衆はシェークスピアを理解することが出来るだろう。・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
・・・そういう仕方で目の錯覚、物忌み、嗜虐性、喫煙欲というような事柄へも連れて行かれれば、また地図や映画や文芸などの深い意味をも教えられる。我々はそれほどの不思議、それほどの意味を持ったものに日常触れていながら、それを全然感得しないでいたのである・・・ 和辻哲郎 「寺田寅彦」
出典:青空文庫