・・・赤根公園をしばらくぶらついて、それから、昼食をたべに街へ出た。私は、「いでゆ」という喫茶店にはいった。いまは立派な新進作家であるから、むかしのように、おどおどしなかった。じっさい、私にとって、十日ほどまえの東京の生活が、十年も二十年ものむか・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・母と、さとは客間に火鉢を用意するやら、お茶、お菓子、昼食がわりのサンドイッチ、祖父のウイスキイなど運ぶのにいそがしい。まず末弟から、読みはじめた。祖母は、膝をすすめ、文章の切れめ切れめに、なるほどなるほどという賛成の言葉をさしはさむので、末・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ それはとにかく、実に幸いなことには事件の発生時刻が朝の開場間ぎわであったために、入場顧客が少なかったからこそ、まだあれだけの災害ですんだのであるが、あれがもしや昼食時前後の混雑の場合でもあったとしたら、おそらく死傷の数は十数倍では足り・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・であった。変な味のする奇妙な肉片を食わされたあとで、今のは牛の舌だと聞いて胸が悪くなって困った。その時に、うまいと思ったのは、おしまいの菓子とコーヒーだけであった。父に連れられて「松田」で昼食を食ったのもそのころであったように思う。玉子豆腐・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・テントの中で昼食の握り飯をくいながら、この測夫の体験談を聞いた。いちばん恐ろしかったのは奄美大島の中の無人の離れ島で台風に襲われたときであった。真夜中に荒波が岸をはい上がってテントの直前数メートルの所まで押し寄せたときは、もうひと波でさらわ・・・ 寺田寅彦 「小浅間」
・・・をしないわれらにはかなり空腹であるところへ相当多量な昼食をしたあとは必然の結果として重い眠けが襲来する。四時から再び始まる講義までの二三時間を下宿に帰ろうとすれば電車で空費する時間が大部分になるので、ほど近いいろいろの美術館をたんねんに見物・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・ 前日の昼食時にA君が、自分の昔の同窓の一人で現に生存しているある人の事についてほんのちょっとばかり話をした。その瞬間に自分の頭の中のどこかのすみを他の同窓のだれかれの影が通り過ぎてすぐ消えたのかもしれない、そうして中でもいちばん早くな・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・そうしたある美しい金曜日の昼食時に美しい日光のさした二階食堂でその朝突発した首相遭難のことを聞き知った。それからもいまだに好晴の金曜がつづいている。昼食後に研究所の屋上へ上がって武蔵野の秋をながめながら、それにしてももう一ぺん金曜日の不思議・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・ オテルドリューロプで昼食をくう。薬味のさまざまに多いライスカレーをくって氷で冷やしたみかん水をのんで、かすかな電扇のうなり声を聞きながら、白服ばかりの男女の外国人の客を見渡していると、頭の中がぼうとして来て、真夏の昼寝の夢のような気が・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ボーイの昼食をすゝむる声耳に入りたれどもとより起き上がる事さえ出来ざる吾の渋茶一杯すゝる気もなく黙って読み続くるも実はこのようなる静穏の海上に一杯の食さえ叶わぬと思われん事の口惜しければなり。 一篇広告の隅々まで読み終りし頃は身体ようや・・・ 寺田寅彦 「東上記」
出典:青空文庫