横浜。 日華洋行の主人陳彩は、机に背広の両肘を凭せて、火の消えた葉巻を啣えたまま、今日も堆い商用書類に、繁忙な眼を曝していた。 更紗の窓掛けを垂れた部屋の内には、不相変残暑の寂寞が、息苦しいくらい支配していた。その・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・「不肖ながら道命は、あらゆる経文論釈に眼を曝した。凡百の戒行徳目も修せなんだものはない。その方づれの申す事に気がつかぬうつけと思うか。」――が、道祖神は答えない。切り燈台のかげに蹲ったまま、じっと頭を垂れて、阿闍梨の語を、聞きすましてい・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・自分たち五六人は、機械体操場の砂だまりに集まって、ヘルの制服の背を暖い冬の日向に曝しながら、遠からず来るべき学年試験の噂などを、口まめにしゃべり交していた。すると今まで生徒と一しょに鉄棒へぶら下っていた、体量十八貫と云う丹波先生が、「一二、・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・都をば霞とともに出でしかど……一首を読むのに、あの洒落ものの坊さんが、頭を天日に曝したというのを思出す……「意気な人だ。」とうっかり、あみ棚に預けた夏帽子の下で素頭を敲くと、小県はひとりで浮かり笑った。ちょっと駅へ下りてみたくなったのだそう・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・「こんな立派な建築を雨晒しにして置くはひどいなあ、近郷に人のない証拠だ、この郡の恥辱だ、随分思い切ったもんだ、県庁あたりでもどうにかしそうなもんだ、つまり千葉県人の恥辱だ、ひどいなあ」 省作はこんなことをひとりで言って、待ち合せる恋・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・この天人の画は椿岳の名物の一つに数えられていたが、惜しい哉羽目板だから破損したかあるいは雨晒しになって散三になってしまったろう。幸い無事に保存されていても今戸は震害地だったから地震の火事で焼けてしまったろう。 椿岳は晩年には『徒然草』を・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
今もそのアパートはあるだろうか、濡雑巾のようにごちゃごちゃした場末の一角に、それはまるで古綿を千切って捨てたも同然の薄汚れた姿を無気力に曝していた。そのあたりは埋立地のせいか年中じめじめした湿気が去らなかった。日の射さぬ中・・・ 織田作之助 「道」
・・・…… やがて、新モスの小ぎれ、ネル、晒し木綿などの包みを抱えて、おせいは帰ってきた。「そっくりで、これで六円いくらになりましたわ。綿入り二枚分と、胴着と襦袢……赤んぼには麻の葉の模様を着せるものだそうだから」……彼女は枕元で包みをひ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・よくもまあ永い間、若い才物者揃いの独身者の間に交って、惨めなばかを晒していられたものだ……」 彼はこの惣領の三つの年に、大きな腹をした細君を郷里に帰したのだ。その後またちょっと帰ってきては一人生ましたのだ。……がさて、明日からどうして自・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 私は開け放った窓のなかで半裸体の身体を晒しながら、そうした内湾のように賑やかな溪の空を眺めている。すると彼らがやって来るのである。彼らのやって来るのは私の部屋の天井からである。日蔭ではよぼよぼとしている彼らは日なたのなかへ下りて来るや・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
出典:青空文庫