・・・あるいはまた、羅馬の兵卒たちの持っている楯が、右からも左からも、眩く暑い日の光を照りかえしていたかも知れない。が、記録にはただ、「多くの人々」と書いてある。そうして、ヨセフは、その「多くの人々の手前、祭司たちへの忠義ぶりが見せとうござったに・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・第一、ばかに暑い。それから、胃がしくしく、痛む。とうてい彼のしゃべる英語を、いちいち理解するほど、神経を緊張する気になれない。 そのうちに、船が動きだした。それも、はなはだ、緩慢な動き方で、船と波止場との間の水が少しずつ幅を広くしていく・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・私の足がどんな所に立っているのだか、寒いのだか、暑いのだか、すこしも私には分りません。手足があるのだかないのだかそれも分りませんでした。 抜手を切って行く若者の頭も段々小さくなりまして、妹との距たりが見る見る近よって行きました。若者の身・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・「おお、暑い、暑い。」「ああ暑い。」 もう飛ついて、茶碗やら柄杓やら。諸膚を脱いだのもあれば、腋の下まで腕まくりするのがある。 年増のごときは、「さあ、水行水。」 と言うが早いか、瓜の皮を剥くように、ずるりと縁台へ脱・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ と、扇子を抜いて、風をくれつつ、「私も暑い。赤いでしょう。」「しんは青くなっているんだよ……息が切れて倒れそうでね。」「おひや、ありますよ。」「有りますか。」「もう、二階ばかり上の高い処に、海老屋の屋根の天水桶の雪・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・畳一枚ほどに切れている細長い囲炉裡には、この暑いのに、燃木が四、五本もくべてあって、天井から雁木で釣るした鉄瓶がぐらぐら煮え立っていた。「どうも、毎度、子供がお世話になって」と、炉を隔てて僕と相対したお貞婆さんが改まって挨拶をした。・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・また暑い日盛りごろ、旅人が店頭にきて休みました。そして、四方の話などをしました。しかし、その間だれも飴チョコを買うものがありませんでした。だから、天使は空へ上ることも、またここからほかへ旅をすることもできませんでした。月日がたつにつれて、ガ・・・ 小川未明 「飴チョコの天使」
・・・寒い冬の夜も、また、暑い夏の日盛りもいとわずに働きました。そして、自分の家のために尽くしました。また、もう一度、失ったバイオリンを自分の手に買いもどして、それを弾きたいという望みばかりでありました。 けれど、あのバイオリンが、はたして、・・・ 小川未明 「海のかなた」
・・・姉が死んだのは、忘れもしない生国魂神社の宵宮の暑い日であったが、もう木犀の匂うこんな季節になったのかと、姉の死がまた熱く胸にきて、道子は涙を新たにした。 やがて涙を拭いて、封筒の裏を見ると、佐藤正助とある。思いがけず男の人からの手紙であ・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・通りをお渡御が通るらしく、枕太鼓の音や獅子舞の囃子の音が聴え、他所の子は皆一張羅の晴着を着せてもらい、お渡御を見に行ったり、お宮の境内の見世物を見に行ったり、しているのに、自分だけは外へも出られずに、暑い家の中でヴァイオリンを弾かされていた・・・ 織田作之助 「道なき道」
出典:青空文庫