・・・ちょうど薄日に照らされた窓は堂内を罩めた仄暗がりの中に、受難の基督を浮き上らせている。十字架の下に泣き惑ったマリヤや弟子たちも浮き上らせている。女は日本風に合掌しながら、静かにこの窓をふり仰いだ。「あれが噂に承った南蛮の如来でございます・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・うす暗がり。AとB そこにいるのは誰だ。男 お前たちだって己の声をきき忘れはしないだろう。AとB 誰だ。男 己は死だ。AとB 死?男 そんなに驚くことはない。己は昔もいた。今もいる。これからもいるだろう。事による・・・ 芥川竜之介 「青年と死」
・・・ 鼻の提灯、真赤な猿の面、飴屋一軒、犬も居らぬに、杢若が明かに店を張って、暗がりに、のほんとしている。 馬鹿が拍手を拍った。「御前様。」「杢か。」「ひひひひひ。」「何をしておる。」「少しも売れませんわい。」「馬鹿・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・記念を取返す、二度目の外出はいそいそするのに、手を曳かれて、キチンと小口を揃えて置いた、あと三冊の兄弟を、父の膝許に残しながら、出しなに、台所を竊と覗くと、灯は棕櫚の葉風に自から消えたと覚しく……真の暗がりに、もう何んにも見えなかった。・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 鼻の前を、その燈が、暗がりにスーッと上ると、ハッ嚔、酔漢は、細い箍の嵌った、どんより黄色な魂を、口から抜出されたように、ぽかんと仰向けに目を明けた。「ああ、待ったり。」「燃えます、旦那、提灯を乱暴しちゃ不可ません。」「貸し・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・て行く女中のあとへついて、出しなに、真中の襖を閉める、と降積る雪の夜は、一重の隔も音が沈んで、酒の座は摺退いたように、ずッと遠くなる……風の寒い、冷い縁側を、するする通って、来馴れた家で戸惑いもせず、暗がりの座敷を一間、壁際を抜けると、次が・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・というのは、これも同じく八畳の床の間なしの座敷を暗がりにして、二人が各手に一冊宛本を持って向合いの隅々から一人宛出て来て、中央で会ったところで、その本を持って、下の畳をパタパタ叩く、すると唯二人で、叩く音が、当人は勿論、襖越に聞いている人に・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・下闇で暗がりでありますから、日中から、一杯咲きます。――あすこは、いくらでも、ごんごんごまがございますでな。貴方は何とかおっしゃいましたな、スズメの蝋燭。」 これよりして、私は、茶の煮える間と言うもの、およそこの編に記した雀の可愛さをこ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 大通へ抜ける暗がりで、甘く、且つ香しく、皓歯でこなしたのを、口移し…… 九 宗吉が夜学から、徒士町のとある裏の、空瓶屋と襤褸屋の間の、貧しい下宿屋へ帰ると、引傾いだ濡縁づきの六畳から、男が一人摺違いに出て行・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・……何、昨夜は暗がりで見損ったにして、一向気にも留めなかったのに。…… ふと、おじさんの方が少し寒気立って、「――そういえば真中のはなかったよ、……朝になると。……じゃあ何か仔細があるのかい。」「おじさん――それじゃ、おじさんは・・・ 泉鏡花 「古狢」
出典:青空文庫