・・・日の暮れるまでは影も見えず、夜はいつの間にか現われてガラスに貼り付けたように身動きせぬ。朝出がけに見るともう居ない。夜一夜あのままに貼り付いていたのが朝の光と共に忽然と消えるのでないかと云うような事を考えた事もある。 暗闇阪を下りつめた・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・ 日が暮れると、判で押したように、辰之助がやってきた。道太は少し沮げていたが、お絹がこの間花に勝っただけおごると言うので、やがて四人づれで、このごろ披露の手拭をつけられた山の裾の新らしい貸席へ飯を食べに行った。それはお絹からみると、また・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ この年月の経験で、鐘の声が最もわたくしを喜ばすのは、二、三日荒れに荒れた木枯しが、短い冬の日のあわただしく暮れると共に、ぱったり吹きやんで、寒い夜が一層寒く、一層静になったように思われる時、つけたばかりの燈火の下に、独り夕餉の箸を取上・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・行先さだめず歩みつづけて、いつか名も知らず方角もわからぬ町のはずれや、寂しい川のほとりで日が暮れる。遠くにちらつく燈火を目当に夜道を歩み、空腹に堪えかねて、見あたり次第、酒売る家に入り、怪しげな飯盛の女に給仕をさせて夕飯を食う。電燈の薄暗さ・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・「楽だって、もう日が暮れるよ、早く上がらないと」「君」「ええ」「ハンケチはないか」「ある。何にするんだい」「落ちる時に蹴爪ずいて生爪を剥がした」「生爪を? 痛むかい」「少し痛む」「あるけるかい」「ある・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・大概は日が暮れる前に終る事と思います。私がこうやって好加減な事をしゃべって、それが済むとあとから、上田さんが代ってまた面白い講話がある。それから散会となる。私の講話も、上田さんの演説も皆経過する事件でありまして、この経過は時間と云うものがな・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・もうそのころは、ぼんやり暗くなって、まだ三時にもならないに、日が暮れるように思われたのです。こどもは力もつきて、もう起きあがろうとしませんでした。雪童子は笑いながら、手をのばして、その赤い毛布を上からすっかりかけてやりました。「そうして・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
・・・戦いに年が暮れるのだろうか。 この間二晩つづけて、東京には提灯行列があった。ある会があって、お濠端の前の建物のバルコンから、その下に蜿蜒と進行する灯の行列を眺め「勝たずば生きてかえらじと」の節の楽隊をきいた。あとになって銀座へ出たら、そ・・・ 宮本百合子 「祭日ならざる日々」
・・・ デモは日が暮れるまでに終ったが、ソヴェトのメーデーはこれですんだんじゃあない。 夜はイルミネーションだ。 その壮観を見物しようとして押しかけて来た家族連れの群集で、夜の赤い広場がまたえらい人出だ。 モスクワ市発電所の虹のよ・・・ 宮本百合子 「勝利したプロレタリアのメーデー」
・・・しかし順番がなかなか来ぬので、とうとう日の暮れるまで待った。何も食わずに、腹が耗ったとも思わずにいたのである。暮六つが鳴ると、神主が出て「残りの番号の方は明朝お出なさい」と云った。 次の日には未明に文吉が社へ往った。番号順は文吉より前な・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫