・・・ この写真が、いま言った百人一首の歌留多のように見えるまで、御堂は、金碧蒼然としつつ、漆と朱の光を沈めて、月影に青い錦を見るばかり、厳に端しく、清らかである。 御厨子の前は、縦に二十間がほど、五壇に組んで、紅の袴、白衣の官女、烏帽子・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・それが危なかしく、水で揺れるように月影に見えました時、ジイと、私の持ちました提灯の蝋燭が煮えまして、ぼんやり灯を引きます。(暗くなると、巴が一つになって、人魂の黒いのが歩行お艶様の言葉に――私、はッとして覗きますと、不注意にも、何にも、お綺・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・どれも赤い柱、白い壁が、十五間間口、十間間口、八間間口、大きなという字をさながらに、湯煙の薄い胡粉でぼかして、月影に浮いていて、甍の露も紫に凝るばかり、中空に冴えた月ながら、気の暖かさに朧である。そして裏に立つ山に湧き、処々に透く細い町に霧・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ トその垣根へ乗越して、今フト差覗いた女の鼻筋の通った横顔を斜違いに、月影に映す梅の楚のごとく、大なる船の舳がぬっと見える。「まあ、可いこと!」 と嬉しそうに、なぜか仇気ない笑顔になった。 七「池があ・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・お志で、石へ月影まで映して来た。ああ、いい景色だ。いつもここは、といううちにも、今日はまた格別です。あいかわらず、海も見える、城も見える。」 といった。 就中、公孫樹は黄なり、紅樹、青林、見渡す森は、みな錦葉を含み、散残った柳の緑を・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・沖はよく和ぎて漣の皺もなく島山の黒き影に囲まれてその寂なるは深山の湖水かとも思わるるばかり、足もとまで月影澄み遠浅の砂白く水底に光れり。磯高く曳き上げし舟の中にお絹お常は浴衣を脱ぎすてて心地よげに水を踏み、ほんに砂粒まで数えらるるようなと、・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・大友は月影に霞む流れの末を見つめていた。 それから二人は暫時く無言で歩いていると先へ行った川村の連中が、がやがやと騒ぎながら帰って来たので、一緒に連れ立って宿に帰った。其後三四日大友は滞留していたけれどお正には最早、彼の事に就いては一言・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・ 二時間も経ったろうか、時田の帰って来たのは。月影にすかして見ると橋の上に立っているのはお梅である。『先生どこを歩いていました今まで、幸ちゃんがさっきから待っていますよ。』『梅ちゃんここで何してたの。』『先生を待っていました・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ ころは夏の最中、月影さやかなる夜であった。僕は徳二郎のあとについて田んぼにいで、稲の香高きあぜ道を走って川の堤に出た。堤は一段高く、ここに上れば広々とした野づら一面を見渡されるのである。まだ宵ながら月は高く澄んで、さえた光を野にも山に・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・ある夜のこと、月影ことに冴えていたので独り散歩して浜に出た。 浜は昼間の賑わいに引きかえて、月の景色の妙なるにもかかわらず人出少し。自分は小川の海に注ぐ汀に立って波に砕くる白銀の光を眺めていると、どこからともなく尺八の音が微かに聞えたの・・・ 国木田独歩 「女難」
出典:青空文庫