・・・この鐘の最後の一打ちわずかに響きおわるころ夕煙巷をこめて東の林を離れし月影淡く小川の水に砕けそむれば近きわたりの騎馬隊の兵士が踵に届く長剣を左手にさげて早足に巷を上りゆく、続いて駄馬牽く馬子が鼻歌おもしろく、茶店の娘に声かけられても返事せぬ・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・つもりでいたのでしょうし、とても永くは居られない家なのだから、きょうを限り、またひとり者の放浪の生活だと覚悟して、橋の欄干によりかかったら、急にどっと涙が出て来て、その涙がぽたんぽたんと川の面に落ち、月影を浮べてゆっくり流れているその川に、・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・の次に「新畳敷きならしたる月影に」の句がある。ここでも月下の新畳と視感ないし触感的な立場から見て油との連想的関係があるかないかという問題も起こし得られなくはない。これはあまり明瞭でないが「かますご食えば風かおる」の次に「蛭の口処をかきて気味・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・河原も道路も蒼白い月影を浴びて、真白に輝いていた。対岸の黒い松原蔭に、灯影がちらほら見えた。道路の傍には松の生い茂った崖が際限もなく続いていた。そしてその裾に深い叢があった。月見草がさいていた。「これから夏になると、それあ月がいいですぜ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・緇素月見樒つみ鷹すゑ道をかへゆけど見るは一つの野路の月影 この歌は『古今』よりも劣りたる調子なり。かくのごとき理屈の歌は「月を見る」というような尋常の句法を用いて結ぶ方よろし。「見るは月影」と有形物をもって結びた・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ どくろに蛙がとまっている飾もの 掛ものは歌集のきれ くまもなきかゝ見と見ゆる月影に こゝろうつさぬ人もあらしな 云々○近さァを区長にせよう思っとったら洗濯もんの騒ぎしよったから どうとも云い出せんようになってしも・・・ 宮本百合子 「Sketches for details Shima」
出典:青空文庫