・・・この小みちの右側にはやはり高い松の中に二階のある木造の西洋家屋が一軒白じらと立っている筈だった。が、この家の前へ通りかかると、そこにはコンクリイトの土台の上にバス・タッブが一つあるだけだった。火事――僕はすぐにこう考え、そちらを見ないように・・・ 芥川竜之介 「歯車」
一 松江へ来て、まず自分の心をひいたものは、この市を縦横に貫いている川の水とその川の上に架けられた多くの木造の橋とであった。河流の多い都市はひとり松江のみではない。しかし、そういう都市の水は、自分の知っ・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・が、その時さえこの川は、常夏の花に紅の口を漱がせ、柳の影は黒髪を解かしたのであったに―― もっとも、話の中の川堤の松並木が、やがて柳になって、町の目貫へ続く処に、木造の大橋があったのを、この年、石に架かえた。工事七分という処で、橋杭が鼻・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・これは豪雨のときに氾濫する虞れの多い溪の水からこの温泉を守る防壁で、片側はその壁、片側は崖の壁で、その上に人々が衣服を脱いだり一服したりする三十畳敷くらいの木造建築がとりつけてあった。そしてこれが村の人達の共同の所有になっているセコノタキ温・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・日向はわずかに低地を距てた、灰色の洋風の木造家屋に駐っていて、その時刻、それはなにか悲しげに、遠い地平へ落ちてゆく入日を眺めているかのように見えた。 冬陽は郵便受のなかへまで射しこむ。路上のどんな小さな石粒も一つ一つ影を持っていて、見て・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 板壁の釘が腐って落ちかけた木造の家に彼等は住んでいた。屋根は低かった。家の周囲には、藁やごみを散らかしてあった。 処々に、うず高く積上げられた乾草があった。 荷車は、軒場に乗りつけたまま放ってあった。 室内には、古いテーブ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・そこには屋根の低い、木造の百姓家が不規則に建ち並んでいた。馬は、家と家との間の狭い通りへ這入って行った。彼は馬の速力をゆるくした。そして、静かに、そこらにある車や、木切れなどを蹴散らさないように用心しいしい歩んだ。栗毛の肉のしまった若々しい・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・――病院の下の木造家屋の中から、休職大佐の娘の腕をとって、五体の大きいメリケン兵が、扉を押しのけて歩きだした。十六歳になったばかりの娘は、せいも、身体のはゞも、メリケン兵の半分くらいしかなかった。太い、しっかりした腕に、娘はぶら下って、ちょ・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・藍万とか、玉つむぎとか、そんな昔流行った着物の小切れの残りを見てもなつかしかった。木造であったものが石造に変った震災前の日本橋ですら、彼女には日本橋のような気もしなかったくらいだ。矢張、江戸風な橋の欄干の上に青銅の擬宝珠があり、古い魚河岸が・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・古い木造の陰気くさい二階建のアパートである。キヌ子の部屋は、階段をのぼってすぐ突当りにあった。 ノックする。「だれ?」 中から、れいの鴉声。 ドアをあけて、田島はおどろき、立ちすくむ。 乱雑。悪臭。 ああ、荒涼。四畳・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
出典:青空文庫