・・・ 場所は――前記のは、桂川を上る、大師の奥の院へ行く本道と、渓流を隔てた、川堤の岐路だった。これは新停車場へ向って、ずっと滝の末ともいおう、瀬の下で、大仁通いの街道を傍へ入って、田畝の中を、小路へ幾つか畝りつつ上った途中であった。 ・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・『八犬伝』の本道は大塚から市川・行徳雨窓無聊、たまたま内子『八犬伝』を読むを聞いて戯れに二十首を作る橋本蓉塘 金碗孝吉風雲惨澹として旌旗を捲く 仇讎を勦滅するは此時に在り 質を二君に委ぬ原と恥づる所 ・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・乗って来た汽車をやり過して、線路をこえると、追分宿への一本道が通じていた。浅間山が不気味な黒さで横たわり、その形がみるみるはっきりと泛びあがって来る。間もなく夜が明ける。 人影もないその淋しい一本道をすこし行くと、すぐ森の中だった。前方・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・一本道の前方にかすかにアパートの灯が見えた。遠い眺めだった。佐伯は街で買って来た赤い色の水歯磨の瓶を鼻にくっつけながら歩いた。その匂いが忘れていた朝を想い出させた。あたりの暗闇が瓶の色に吸いこまれ、佐伯の心は新しい道を発見したというよろこび・・・ 織田作之助 「道」
・・・こういう生命の本道というものをゆがめるところから、どんな大きな間違いが結果するであろうか。なるほど媒介結婚説は一つの社会現実の知恵からきたもので、恋愛結婚の方が甘いように一見見えるけれども、決してそうではない。こういった種類の現実的知恵とい・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 窟禅定も仕はてたれば、本尊の御姿など乞い受けて、来し路ならぬ路を覚束なくも辿ることやや久しく、不動尊の傍の清水に渇きたる喉を潤しなどして辛くも本道に出で、小野原を経て贄川に憩う。荒川橋とて荒川に架せる鉄橋あり。岸高く水遠くして瀬をなし・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・一本道の両側に三丁ほど茅葺の家が立ちならんでいるだけであったのである。音楽隊は、村のはずれに出てしまってもあゆみをとめないで、螢の光の曲をくりかえしくりかえし奏しながら菜の花畠のあいだをねってあるいて、それから田植まっさいちゅうの田圃へ出て・・・ 太宰治 「逆行」
・・・家内中が、流行性感冒にかかったことなど一大事の如く書いて、それが作家の本道だと信じて疑わないおまえの馬面がみっともない。 強いということ、自信のあるということ、それは何も作家たるものの重要な条件ではないのだ。 かつて私は、その作家の・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・これは、ひょっとしたら、断頭台への一本道なのではあるまいか。こうして、じりじり進んでいって、いるうちに、いつとはなしに自滅する酸鼻の谷なのではあるまいか。ああ、声あげて叫ぼうか。けれども、むざんのことには、笠井さん、あまりの久しい卑屈に依り・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・墓地となった事は説くに及ぶまい。墓地本道の左右に繁茂していた古松老杉も今は大方枯死し、桜樹も亦古人の詩賦中に見るが如きものは既に大抵烏有となったようである。根津権現の花も今はどうなったであろうか。 根津権現の社頭には慶応四年より明治二十・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫