・・・ そもそも僕が始て都下にカッフェーというもののある事を知ったのは、明治四十三年の暮春洋画家の松山さんが銀座の裏通なる日吉町にカッフェーを創設し、パレット形の招牌を掲げてプランタンという屋号をつけた際であった。僕は開店と言わずして特に創設・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 学校を出てから、伊予の松山の中学の教師にしばらく行った。あの『坊っちゃん』にあるぞなもしの訛を使う中学の生徒は、ここの連中だ。僕は『坊っちゃん』みたようなことはやりはしなかったよ。しかしあの中にかいた温泉なんかはあったし、赤手拭をさげ・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
正岡の食意地の張った話か。ハヽヽヽ。そうだなあ。なんでも僕が松山に居た時分、子規は支那から帰って来て僕のところへ遣って来た。自分のうちへ行くのかと思ったら、自分のうちへも行かず親族のうちへも行かず、此処に居るのだという。僕・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・それは伊予の松山にある中学校です。あなたがたは松山の中学と聞いてお笑いになるが、おおかた私の書いた「坊ちゃん」でもご覧になったのでしょう。「坊ちゃん」の中に赤シャツという渾名をもっている人があるが、あれはいったい誰の事だと私はその時分よく訊・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・譬ば恋情の切なるものは能く人を殺すといえることを以て意と為したる小説あらんに、其の本尊たる男女のもの共に浮気の性質にて、末の松山浪越さじとの誓文も悉皆鼻の端の嘘言一時の戯ならんとせんに、末に至って外に仔細もなけれども、只親仁の不承知より手に・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
「こんなに揃って雑煮を食うのは何年振りですかなア、実に愉快だ、ハハー松山流白味噌汁の雑煮ですな。旨い、実に旨い、雑煮がこんなに旨かったことは今までない。も一つ食いましょう。」「羽織の紋がちっと大き過ぎたようじゃなア。」「何に大きいことは・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・ けれどもそれは方角がちがっていたらしく雪童子はずうっと南の方の黒い松山にぶっつかりました。雪童子は革むちをわきにはさんで耳をすましました。「ひゅう、ひゅう、なまけちゃ承知しないよ。降らすんだよ、降らすんだよ。さあ、ひゅう。今日は水・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
松山文雄さんがこの頃益々一心に画業をはげんで居られることは友人たちの間で知らぬものはないと思います。 清潔な生活感情をもちつづけて、芸術家が今日成長を重ねてゆくのはまことに一事業です。清潔であって生々とした美感に溢れた・・・ 宮本百合子 「健康な美術のために」
・・・日本からは、松山、永田という二人の同志が出席した。 革命文学国際局はこの会議を機会として組織がえを行った。国際革命作家同盟となった。これまでよりは一層緊密な国際的規模で各国のプロレタリア文学活動が出来るようになった。 国際的にこ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・島田父上からお手紙にて、松山の学校の頃のお金は八円何銭とかであったが、それはもう当時に支払ってあるから安心するようにとのことでした。島田では達治さん御入営後、いい運転手が来て車を大切にするので母上およろこびです。リンゴをお忘れなく召上って下・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫