・・・後年私は、新聞紙上で、軍人や官吏が栄転するたびに、大正何年組または昭和何年組の秀才で、その組のトップを切って栄進したという紹介記事を読んで、かつての同級生の愚鈍な顔を思い出さぬ例しは一度もないくらいである。彼等が今日本の政治の末端に与ってい・・・ 織田作之助 「髪」
・・・その父が東京のドイツ語学校の主事として栄転して来たのは、夫人の十七歳の春であった。間もなく、世話する人があって、新帰朝の仙之助氏と結婚した。一男一女をもうけた。勝治と、節子である。その事件のおこった時は、勝治二十三歳、節子十九歳の盛夏である・・・ 太宰治 「花火」
・・・そうして明治十八年に東京の士官学校附に栄転するまでただの一度も帰省しなかったらしい。交通の便利な今のわれわれにはちょっと想像し難いほどの長い留守を明けたものであるが、若い時から半分以上は他国を奔走してばかりいた父には五年くらいの留守は何でも・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
出典:青空文庫