・・・夜、あの人が帰って来るなり、はしたないことだが、いきなり胸倉を掴まえてそのことをきくと、案の定、言いそびれててん、とぼそんとした。私は自分でも恥かしいくらい大きな声になり、あなたはそれで平気なんですか、八木沢さんが今日来られることはわかって・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・夫婦はひそひそ語り合っていたが、案の定、柳吉はある日ぶらりと出て行ったまま、幾日も帰って来なかった。 七日経っても柳吉は帰って来ないので、半泣きの顔で、種吉の家へ行き、梅田新道にいるに違いないから、どんな容子かこっそり見て来てくれと頼ん・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・しかし案の定なんにもいない。 次は客の湯の方へはいっているときである。例によって村の湯の方がどうも気になる。今度は男女の話声ではない。気になるのはさっきの溪への出口なのである。そこから変な奴がはいって来そうな気がしてならない。変な奴って・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・そして案の定落ちてしまう。それは見ていて決して残酷でなくはなかった。しかしそれを助けてやるというような気持は私の倦怠からは起こって来ない。彼らはそのまま女中が下げてゆく。蓋をしておいてやるという注意もなおのことできない。翌日になるとまた一匹・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・そしてその文字は楷書であるが何となく大田南畝の筆らしく思われたので、傍の溜り水にハンケチを濡し、石の面に選挙侯補者の広告や何かの幾枚となく貼ってあるのを洗い落して見ると、案の定、蜀山人の筆で葛羅の井戸のいわれがしるされていた。 これは後・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ それから、案の定私のところには生活のいろいろな大小の濤がおこり、十何年間に先生の宅へ上ったのは果して何度ぐらいであったろうか。 坪内先生の日本の文学における業績については私が敢て云うを俟たないものであるが、先生と私一箇との間に在っ・・・ 宮本百合子 「坪内先生について」
出典:青空文庫