・・・すなわちその極点は、この教を奉ずる国民の公議輿論に適すべき部分にかぎりて働を呈し、それ以上においては輿論のために制せらるるを常とす。 たとえば支那と日本の習慣の殊なるもの多し。就中、周の封建の時代と我が徳川政府封建の時代と、ひとしく封建・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・そもそも歌の腐敗は『古今集』に始まり足利時代に至ってその極点に達したるを、真淵ら一派古学を闢き『万葉』を解きようやく一縷の生命を繋ぎ得たり。されど真淵一派は『万葉』を解きて『万葉』を解かず、口には『万葉』をたたえながらおのが歌は『古今』以下・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・つまり徒歩旅行は必要と面白味とを兼ね備えたもので、新聞記者の紀行としては理想の極点に達したというても善い位であると思う。 去年この紀行が『二六新報』に出た時は炎天の候であって、余は病牀にあって病気と暑さとの夾み撃ちに遇うてただ煩悶を極め・・・ 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・門人は必ずしも芭蕉の簡単を学ばざりしも、複雑の極点に達するにはなお遠かりき。 芭蕉は「発句は頭よりすらすらと言い下し来たるを上品とす」と言い、門人洒堂に教えて「発句は汝がごとく物二、三取り集むる物にあらず、こがねを打ちのべたるごとくある・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ この感情は或る日、千鶴子が自分の仕事について話した時極点に行った。三人で茶をのみつつ、「どんな? うまく行くこと?」「ええ、でもこんどは考え考えやっていますから」 圭子が、「どういう点です、考えるっていうの」と訊い・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・ 人は喜びの極点に達した時に或る一種の悲しみを感じる、その口に云えない悲しみが美の極点にも崇高なものの極点にもある悲しみである。 その口に云い表わされない悲しみの心に宿った時、口に表わせない尊いすべての事がなされるのである。 千・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・○彼らは自己の何ものなるかを悟ろうとし、それ故に限界を求める、自我の最極点を、何よりも自己の深さを、灼熱と冷却とにおいて知ろうとする p.194 ここにおけるDの意味○ドストイェフスキーが贏ようとつとめた共同体はもはや社・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・すなわち文芸復興期以後二十世紀まで続いて来た自然科学と国家組織との発達が、その極点に達して破裂してしまうのである。そうして旧来の自然科学的文化の代わりに理想主義的文化が、利己主義的国家の代わりに世界主義的国家が、力強く育ち始めるのである。・・・ 和辻哲郎 「世界の変革と芸術」
出典:青空文庫