・・・その時歓声をあげた生徒の中に無論私も交じっていた。 校長の紹介で講壇に立った文学士は堂々たる風采をしていた。頭はいがぐりであったが、そのかわりに立派な漆黒なあごひげは教頭のそれよりも立派であった。大きな近眼鏡の中からは知恵のありそうな黒・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・―― 演説が終ると、獄舎内と外から一斉に、どっと歓声が上がった。 私は何だか涙ぐましい気持になった。数ヶ月の間、私の声帯はほとんど運動する機会がなかった。また同様に鼓膜も、極めて微細な震動しかしなかった。空気――風――と光線とは誰の・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・ 波は細かい砂を打ってその歓声に合わせるようさしては退き、退いてはさし、轟いている。陽子は嬉しいような、何かに誘われるような高揚した心持になって来た。彼女は男たちから少し離れたところへ行って、確り両方の脚を着物の裾で巻きつけた。「ワ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・に擡頭しつつあるファッシズムとその文学の警戒すべき本質をさとらずに、右にも左にもわずらわされない「自由な自意識の確立」に歓声をあげていた情況は、まざまざとうつされている。天皇制の「非常時」専制があんまり非人間的で苦しく、重圧にたえることに疲・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・ 歓声をあげ、俥を追って駈けて来る。揉まれながら俥はどんどん進み、一緒に走ってゆく男の幅広い下駄で踵を打つ音が耳立って淋しく聞えた。 野蛮な声の爆発が鎮ると、都おどりのある間だけ点される提灯の赤い色が夜気に冴える感じであった。・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・ 工場の交代時間、託児所からあふれる子供の歓声と母親の笑いごえをきけ。ソヴェトの子と母である。(一九二八年から一九三三年にわたるソヴェト産業拡張五ヵ年計画は、プロレタリアート文化向上資金として三億五千万ルーブリを予定している。こ・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・子供たちは歓声をあげ、アーク燈と凍った雪の上で仔熊のようにころがりまわる。親たちは、小脇に勤め先からもってかえった書類入鞄をはさみながら、やっぱり同じように陽気な顔つきで立って、お伴をつとめている。―― これこそ、独特なソヴェト同盟風景・・・ 宮本百合子 「砂遊場からの同志」
・・・子供の中から起る歓声。「可哀そうねえ。「そんなにひどい事なの。「それでそんなに色が黒くなってしまったの。此等の断片的な言葉が、低く三人の中からゴチャゴチャに出る。旅 ええ、ええ。 そいからもっと貴方がたがびっくり・・・ 宮本百合子 「旅人(一幕)」
・・・自分は早くから、父はその晩、皆の歓声をあげさせるような何物かを持って居るのだ。 御きまりの、然し愉快な晩餐。それがすむと、私が「さあ、皆、眼をつぶって!」と、大きな盆の上に、綺麗に飾った包物を盛りあげて、正面の大扉から現れる。そ・・・ 宮本百合子 「二つの家を繋ぐ回想」
・・・国技館でも灯が入った刹那にはやはり罪のない歓声が鉄傘をゆるがしてあがる。人間の心持の天真なところが面白かった。 四辺が煌々と明るくなるとますます目の下の空っぽの議席が空虚の感じをそそる。遠くの円形棧敷の貴賓席に、ぽつりと一人いる人の黒服・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
出典:青空文庫