・・・「何しろ君、そいつは殺人人百十七件と言うんだからね。」 彼は時々話の合い間にこう言う註釈も加えたりした。僕も勿論僕自身に何の損害も受けない限り、決して土匪は嫌いではなかった。が、いずれも大差のない武勇談ばかり聞かせられるのには多少の・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・この故に往往石器時代の脳髄しか持たぬ文明人は論争より殺人を愛するのである。 しかし亦権力も畢竟はパテントを得た暴力である。我我人間を支配する為にも、暴力は常に必要なのかも知れない。或は又必要ではないのかも知れない。 「人間ら・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 仁右衛門は殺人者が生き残った者を脅かすような低い皺枯れた声でたしなめた。 嵐が急にやんだように二人の心にはかーんとした沈黙が襲って来た。仁右衛門はだらんと下げた右手に斧をぶらさげたまま、妻は雑巾のように汚い布巾を胸の所に押しあてた・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ けれども、その男を、年配、風采、あの三人の中の木戸番の一人だの、興行ぬしだの、手品師だの、祈祷者、山伏だの、……何を間違えた処で、慌てて魔法つかいだの、占術家だの、また強盗、あるいは殺人犯で、革鞄の中へ輪切にした女を油紙に包んで詰込ん・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・私は彼等の素直なる、そしてただ素直でしかない、面白くないという点では殆んど殺人的な作品が、われわれに襟を正して読むことを強制しているという日本の文壇の、昨日に変らぬ今日の現状に、ただ辟易するばかりである。彼等の文学は、ただ俳句的リアリズムと・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・なお、この男を分会長にいただいている気の毒な分会員達は二週間の訓練の間、毎日の如く愚劣な、そしてその埋め合せといわんばかりに長ったらしい殺人的演説を聴かされて、一斉に食欲がなくなったそうである。この話を聴いた時、私は鼻血は出たけれど大工の演・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ やはり宮枝は慄く、男はみな殺人魔。柔道を習いに宮枝は通った。社交ダンスよりも一石二鳥。初段、黒帯をしめ、もう殺される心配のない夜の道をガニ股で歩き、誰か手ごめにしてくれないかしら。スリルはあった。 ある夜、寂しい道。もしもし。男だ・・・ 織田作之助 「好奇心」
・・・ 今なら、あの白い手がたとえあの上で殺人を演じても、誰一人叫び出そうとはしないだろう」 私は寸時まえの拍手とざわめきとをあたかも夢のように思い浮かべた。それは私の耳にも目にもまだはっきり残っていた。あんなにざわめいていた人びとが今のこの・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・「全世界の人悉くこの願を有ていないでも宜しい、僕独りこの願を追います、僕がこの願を追うたが為めにその為めに強盗罪を犯すに至ても僕は悔いない、殺人、放火、何でも関いません、もし鬼ありて僕に保証するに、爾の妻を与えよ我これを姦せん爾の子を与・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ その曲ったあとがなかなかもとの通りになおらなかった。殺人をした証拠のようにいつまでも残っていた。「これからだって、この剣にかかってやられる人間がいくらあるか知れやしないんだ。」栗本はそんなことを考えた。「また、俺等だって、いつやら・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
出典:青空文庫