・・・日本の旅館の不快なる事は毎朝毎晩番頭や内儀の挨拶、散歩の度々に女中の送迎、旅の寂しさを愛するものに取ってはこれ以上の煩累はあるまい。 何処へ行こうかと避暑の行先を思案している中、土用半には早くも秋風が立ち初める。蚊遣の烟になお更薄暗く思・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・「それなら宜しゅう御座います。毎晩犬が吠えておやかましいでしょう。どう云うものか賊がこの辺ばかり徘徊しますんで」「どうも御苦労様」と景気よく答えたのは遠吠が泥棒のためであるとも解釈が出来るからである。巡査は帰る。余は夜が明け次第四谷・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・「あそこの家の屋根からは、毎晩人魂が飛ぶ。見た事があるかい?」 そうなると、子供や臆病な男は夜になるとそこを通らない。 このくらいのことはなんでもない。命をとられるほどのことはないから。 だが、見たため、知ったために命を落と・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・こんなに冷遇ても厭な顔もしないで、毎晩のように来ておいでなんだから、怒らせないくらいにゃしておやりよ」と、小万も吉里が気に触らないほどにと言葉を添えた。「また無理をお言いだよ」と、吉里は猪口を乾して、「はい、兄さん。本統に善さんにゃ気の・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・この上さんが毎晩五銭ずつを貯金箱に入れる事にきめて居るのだが、せめてそれを十銭ずつにしてやりたいよ。するとその貯金がたまって後には金持に出世する。しかし大鷲の意見と僕の意見と往々衝突するから保証は出来ない。 三橋に出ると驚いた。両側の店・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・それもまるで聞えるか聞えないかの位でしたが毎晩のことなのでゴーシュはすぐ聞きつけて「おはいり。」と云いました。すると戸のすきまからはいって来たのは一ぴきの野ねずみでした。そして大へんちいさなこどもをつれてちょろちょろとゴーシュの前へ歩いてき・・・ 宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」
・・・の一番初めの話は、高い屋根裏の部屋で朝から晩までモール刺繍をして暮している娘の窓に月が毎晩訪れて、お話をして聴かせるという話だったと思う。都会の屋根うらのそういうふうな娘の人生を、アンデルセンは悲しい同情をもって理解した。 またこんどの・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・ 暮に押し詰まって、毎晩のように忘年会の大一座があって、女中達は目の廻るように忙しい頃の事であった。或る晩例の目刺の一疋になって寝ているお金が、夜なかにふいと目を醒ました。外の女ならこんな時手水にでも起きるのだが、お金は小用の遠い性で、・・・ 森鴎外 「心中」
・・・警察の事に明るい人は誰も知っているだろうが、毎晩市の仮拘留場の前に緑色に塗った馬車が来て、巡査等が一日勉強して拾い集めた人間どもを載せて、拘留場へ連れて行く。ちょうどこれと同じように墓地へも毎晩緑色に塗った車が来て、自殺したやくざものどもを・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・「ええ。毎晩いたします。」「泳げるかね。」「大好きです。」 なぜ夜海水浴をするのか問おうかと思ったが止めた。多分昼間は隙がないのだろう。「冬になるとお前さんどこへ行くかね。コッペンハアゲンだろうね。」「いいえ。ここに・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫