・・・仕事と言うのは僕等の雑誌へ毎月何か書かなければならぬ、その創作のことを指すのだった。 Mの次の間へ引きとった後、僕は座蒲団を枕にしながら、里見八犬伝を読みはじめた。きのう僕の読みかけたのは信乃、現八、小文吾などの荘助を救いに出かけるとこ・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・和尚は説教の座へ登る事があると、――今でも行って御覧になれば、信行寺の前の柱には「説教、毎月十六日」と云う、古い札が下っていますが、――時々和漢の故事を引いて、親子の恩愛を忘れぬ事が、即ち仏恩をも報ずる所以だ、と懇に話して聞かせたそうです。・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・少し変った処といえば、獅子狩だの、虎狩だの、類人猿の色のもめ事などがほとんど毎月の雑誌に表われる……その皆がみんな朝夷島めぐりや、おそれ山の地獄話でもないらしい。 最近も、私を、作者を訪ねて見えた、学校を出たばかりの若い人が、一月ばかり・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 初めから引かしてやると言うんで、毎月、毎月妾のようにされても、なりたけお金を使わせまいと、わずかしか小遣いも貰わなかったんだろうじゃないか? 人を馬鹿にしゃアがったら、承知アしない、わ。あのがらくた店へ怒鳴り込んでやる!」「そう、目の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・沼南社長時代の毎日新聞社員は貧乏が通り相場である新聞記者中でも殊に抽んでて貧乏であった。毎月の月給が晦日の晩になっても集金人が金を持って帰るまでは支払えなくて、九時過ぎまでも社員が待たされた事が珍らしくなかった。随って社員は月末の米屋酒屋の・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・毎日の新聞、毎月の雑誌に論難攻撃は絶えた事は無いが、尽く皆文人対文人の問題――主張対主張の問題では無い――であって、未だ嘗て文人対社会のコントラバーシーを、一回たりとも見た事が無い。恐らく之は欧洲大陸に類例なき日本の文壇の特有の現象であろう・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・その女は信者でも何でもない。毎月三日月様になりますと私のところへ参って「ドウゾ旦那さまお銭を六厘」という。「何に使うか」というと、黙っている。「何でもよいから」という。やると豆腐を買ってきまして、三日月様に豆腐を供える。後で聞いてみると「旦・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・そして貯金宣伝をする以上、自分も貯金しなくてはおかしいと思って、毎月十円ずつ禁酒貯金をするほかに、もう一つ私は秋山名義の貯金帳をこしらえました。秋山というのは、中之島公園で私を拾ってくれたあの拾い屋です。私はその人を命の恩人と思い、今は行方・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ついては、いつも思うのであるが、今日は同人雑誌の洪水時代で、毎月私の手元へも夥しい小冊子が寄贈される。扨それらの雑誌を見ると、殆んど大部分が東京の出版であり、熟れも此れも皆同じように東京人の感覚を以て物を見たり書いたりしている。彼等のうちに・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・商売に身をいれるといっても、客が来なければ仕様がないといった顔で、店番をするときも稽古本をひらいて、ぼそぼそうなる、その声がいかにも情けなく、上達したと褒めるのもなんとなく気が引けるくらいであった。毎月食い込んで行ったので、再びヤトナに出る・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
出典:青空文庫