もうりたかちか【毛利敬親】
[1819〜1871]江戸末期の長州藩主。村田清風を登用して藩政を改革。尊王攘夷を主張し、蛤御門 (はまぐりごもん) の変では敗れて官位を剝奪されたが、のち薩摩と結び、倒幕を実現。
もうりてるもと【毛利輝元】
[1553〜1625]安土桃山時代の武将。元就 (もとなり) の孫。織田信長に反抗し、豊臣秀吉の攻撃を受けたが、本能寺の変によって和睦。のち、秀吉に仕えて五大老の一人となったが、関ヶ原の戦いで西軍に参加したため、所領を長門・周防 (すおう) 2国に削られた。
もうりもとなり【毛利元就】
[1497〜1571]戦国時代の武将。陶晴賢 (すえはるかた) ・大内義長・尼子義久らを滅ぼし、山陰・山陽10か国を領有する戦国大名となった。隆元・元春・隆景の三子に与えた一族団結を説く教訓は、三本の矢の教えとして有名。