・・・ ……民衆の旗、赤旗は…… 一人の男は、跳び上るような姿勢で、手を振っている……と、お初は、思わず声をあげた。「アッ、利助が、あんた利助が?」 お初は、利平の腕をグイグイ引ッ張った。「ナニ利助?」 まったく! 目を瞠・・・ 徳永直 「眼」
・・・ わたくしは思想と感情とにおいても、両ながら江戸時代の学者と民衆とのつくった伝統に安んじて、この一生を終る人である。一たび伝統の外に出たいと願ったこともあったが、中途にしてその不可能であることを知った。わたくしをして過去の感化を一掃する・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・之に反して、昭和当代の少年の夢を襲うものは抑も何であろう。民衆主義の悪影響を受けた彼等の胸中には恐怖畏懼の念は影をだも留めず、夢寐の間にも猶忘れざるものは競争売名の一事のみである。聞くところによれば現代の小学生は小遣銭を運動費となして、級長・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・現代民衆的婦人の顔とでも言うべきものであろう。この顔にはいろいろの種類があるが、その表情の朴訥穏和なことは、殆ど皆一様で、何処となくその運命と境遇とに甘んじているようにも見られるところから、一見人をして恐怖を感ぜしめるほど陰険な顔もなければ・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ ここにわたしたちの生活に即した考えのいとぐちがあり政府が奨励する町の踊りについての民衆の声があったわけです。みんなが考えたことをみんなが表現する自信さえもったら、社会の進歩のための輿論は活発になります。私たち自身の豊富さもまします。・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・しかし、それならばと云って、所謂文学的専門術は身にそなえていなくても、人間として民衆として生きる日常の生活の中から、おのずから他の人につたえたいと欲する様々の感想、様々の生活事情が無いと云えるだろうか。あったことを語りたい。忘られない或るこ・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・だのを一つ一つ読んだりして理解することは一般民衆には出来ないのだから、一つあらゆるシェークスピアの作品を一つにぶちこんでとかして、その中から一つのストーリイをまとめて映画にでもすれば、日本の民衆はシェークスピアを理解することが出来るだろう。・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
・・・彼は「足軽」の徹底的禁止を論じている。足軽は応仁の乱から生じたものであるが、これは暴徒にほかならない。下剋上の現象である。これを抑えなければ社会は崩壊してしまうであろう、というのである。彼は民衆の力の勃興を眼前に見ながら、そこに新しい時代の・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・目に映る民衆の大部分は、営々として、また黙々として、僅少の労銀のために汗を流している人々である。彼らはその労働を怠ることなくしてはこの老人の饒舌に耳を傾けることができない。そうして父が痛撃しようと欲する過激運動者のごときは一人も目に入らない・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・彼の目にふれるのは偶像の光栄に浴し偶像の力に充たされたと迷信する愚昧な民衆の歓酔である。彼らは鐃や手銅鼓や女夫笛の騒々しい響きに合わせて、淫らな乱暴な踊りを踊っている。そうしてその肉感的な陶酔を神への奉仕であると信じている。さらにはなはだし・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫