・・・蟹の長男は父の没後、新聞雑誌の用語を使うと、「飜然と心を改めた。」今は何でもある株屋の番頭か何かしていると云う。この蟹はある時自分の穴へ、同類の肉を食うために、怪我をした仲間を引きずりこんだ。クロポトキンが相互扶助論の中に、蟹も同類を劬ると・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・椿岳歿後、下岡蓮杖が浅草絵の名を継いで泥画を描いていたが、蓮杖のは椿岳の真似をしたばかりで椿岳の洒脱と筆力とを欠き、同じ浅草絵でも椿岳のとは似て非なるものであった。が、その蓮杖も二、三年前故人となって、浅草絵の名は今では全く絶えてしまった。・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ような鈍感者では到底味う事の出来ない文章上の微妙な説を聞いて大いに発明した事もしばしばあったし、洗練推敲肉痩せるまでも反覆塗竄何十遍するも決して飽きなかった大苦辛を見て衷心嘆服せずにはいられなかった。歿後遺文を整理して偶然初度の原稿を検する・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・は没後四十六年の今日でも実に驚くべき鮮明さをもって随時に眼前に呼び出される。 この糸車というものが今では全く歴史的のものになってしまったようである。自分の子供などでもだれも実物を見たことはないらしい。産業博物館とでもいうものがあれば、そ・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・生前の勲功によって歿後勲一等に叙し瑞宝章を授けられた。これは学者としてほとんど類例のないことだという。これも同君の業績が如何に優れたものであったかを証明するものであろう。これ以外にも学界その他から得た栄誉の表章は色々あるがここには述べ悉し難・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・自分が父の没後郷里の家をたたんでこの地へ引っ越す際に彼女はその郷里の海浜の村へ帰って行った。彼女の家を立てるべき弟は日露戦争で戦死したために彼女はほんとうの一人ぽっちであったので、他家に嫁した姉の女の子を養女にしてその世話をしているという事・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調度図書典籍を蒐めてこれを各室に按排し好事のものにはいつでも縦覧せしむる便宜さえ謀られた。 文学者でチェルシーに縁故のあるものを挙げると昔しはトマス・モア、下ってスモレット、なお下っ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・彼の拙を笑い得るの機会を捉え得た試がない。また彼の拙に惚れ込んだ瞬間の場合さえもたなかった。彼の歿後ほとんど十年になろうとする今日、彼のわざわざ余のために描いた一輪の東菊の中に、確にこの一拙字を認める事のできたのは、その結果が余をして失笑せ・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・蕪村また性行において尊尚すべきものあり。しかして世はこれを容れざるなり。 蕪村の名は一般に知られざりしにあらず、されど一般に知られたるは俳人としての蕪村にあらず、画家としての蕪村なり。蕪村歿後に出版せられたる書を見るに、蕪村画名の生前に・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 藤村の歿後、何かの新聞に島崎鶏二氏の書いた文章を見かけた。そして生涯精励であるいかなる作家も、最後には、自分で書ききれない一篇の小説を、自分の人生の真髄に応じて後に生きつづけてゆく者の間へ遺すものだということにこころうたれた。・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
出典:青空文庫