・・・大河内 「ウーコッ」川の合流。甲殿 「コタン」は村。またマレイで「コタ」は町。またビルマ語で「コーンダーン」は小さき山脈。和喰 「ワシ」波浪「ケプ」破れる。また「ケ」場所。奴田 「ヌ」頂の平たき山「タプ」円頂丘。日下 「・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
・・・「ここの電話じゃ急のことには埒があかないから、わたしお隣の緑軒でかけてきましたわ」お絹はそう言って、鼻頭ににじみでた汗をふいていた。 辰之助は序幕に間に合った。「河内山」がすんで、「盛綱陣屋」が開く時分に、先刻から場席を留守にし・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・二番目は「河内山」で蝶昇が勤めた。雷蔵の松江侯と三千歳、高麗三郎の直侍などで、清元の出語りは若い女で、これは馬鹿に拙い。延久代という名取名を貰っている阿久は一々節廻しを貶した。捕物の場で打出し。お神さんの持って来た幸寿司で何も取らず、会計は・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・例えば伽羅くさき人の仮寝や朧月女倶して内裏拝まん朧月薬盗む女やはある朧月河内路や東風吹き送る巫が袖片町にさらさ染るや春の風春水や四条五条の橋の下梅散るや螺鈿こぼるゝ卓の上玉人の座右に開く椿かな梨の花月・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 吉右衛門の河内山の癖をもじって、皆、スケッチをそっちのけに笑った。 詮吉が散歩に出たいと云う、総子は風があるから厭だと云う。結局なほ子と詮吉とだけ出かけることになった。 詮吉は軽そうなセルに着換え、ステッキを下げて出て来た・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・弾正の子市兵衛は河内の八隅家に仕えて一時八隅と称したが、竹内越を領することになって、竹内と改めた。竹内市兵衛の子吉兵衛は小西行長に仕えて、紀伊国太田の城を水攻めにしたときの功で、豊臣太閤に白練に朱の日の丸の陣羽織をもらった。朝鮮征伐のときに・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・御供には長岡河内景則、加来作左衛門家次、山田三右衛門、佐方源左衛門秀信、吉田兼庵相立ち候。二十四日には一同京都に着し、紫野大徳寺中高桐院に御納骨いたし候。御生前において同寺清巌和尚に御約束有之候趣に候。 さて今年御用相片づき候えば、御当・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
出典:青空文庫