・・・ だが、同じ日本の俗曲でも、河東節の会へ一緒に聴きに行った事があるが、河東節には閉口したらしく、なるほど親類だけに二段聴きだ、アンナものは三味線の揺籃時代の産物だといって根っから感服しなかった。河東節の批評はほぼ同感であったが、私が日本・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・「ハイ唯今河東さんがお出になって一緒に出て行きました。」「マーチャンお目出とう。」「マーチャンお辞儀おしなさい。このおじさん知っていますか。オホンオホンじいちゃんがネー御病気がすっかりよくおなりなすっていらしったのだからお辞儀をしなくちゃい・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・殊にこの頃では伊藤、河東、高浜その他の諸子を煩わして一日替りに看病に来てもらうような始末になったので、病人の苦しいことは今更いうまでもないが、看病人の苦しさは一通りでないということを想像すればするほど気の毒で堪らなくなる。勿論看病のしかたは・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・和十は河東節の太夫、良斎は落語家、北渓は狩野家から出て北斎門に入った浮世絵師、竹内は医師、三竺、喜斎は按摩である。 竜池は祝儀の金を奉書に裹み、水引を掛けて、大三方に堆く積み上げて出させた。 竜池は涓滴の量だになかった。杯は手に取っ・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫