・・・ 油絵に凝っていた頃の事である。一通り画面を塗りつぶして、さて全体の効果をよく見渡してからそろそろ仕上げにかかろうというときの一服もちょっと説明の六かしい霊妙な味のあるものであった。要するに真剣にはたらいたあとの一服が一番うまいというこ・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・それは、そのころどこかからもらった高価な舶来ビスケットの箱が錠前付きのがんじょうなブリキ製であったが、その上面と四方の面とに実に美しい油絵が描かれていた。その絵の一つが英国の田舎の風景で、その中に乗客を満載した一台の郵便馬車が進行している。・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
四月の始めに山本鼎氏著「油絵のスケッチ」という本を読んで急に自分も油絵がやってみたくなった。去年の暮れに病気して以来は、ほとんど毎日朝から晩まで床の中で書物ばかり読んでいたが、だんだん暖かくなって庭の花壇の草花が芽を吹き出・・・ 寺田寅彦 「自画像」
去年の春から油絵の稽古を始めた。冬初めごろまでに小さなスケッチ板へ二三十枚、六号ないし八号の画布へ数枚をかいた。寒い間は休んでことし若葉の出るころからこの秋までに十五六枚か、事によると二十枚ほどの画布を塗りつぶした。これら・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・おかしいことには、その時の手術室の壁間に掲げてあった油絵の額が実にはっきり印象に残っている。当時には珍しいボールドなタッチでかいた絵で、子供をおぶった婦人が田んぼ道を歩いている図であった。激烈な苦痛がその苦痛とはなんの関係もない同時的印象を・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しかしこれはむしろやはり油絵の題材でないか。とにかくこの人の絵はまじめであるがことしのは失敗だと思う。 富田渓仙の巻物にはいいところがあるが少し奇を弄したところと色彩の子供らしさとが目についた。 あれだけおおぜいの専門的な研究家が集・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・ただ自分の描き集めた若干の油絵だけがちょっと惜しいような気がしたのと、人から預かっていたローマ字書きの書物の原稿に責任を感じたくらいである。妻が三毛猫だけ連れてもう一匹の玉の方は置いて行こうと云ったら、子供等がどうしても連れて行くと云ってバ・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・われわれはそれを「油絵」と呼んでいたが、ほんとうの油絵というものはもちろんまだ見た事がなかったのである。この版画の油絵はたしかに一つの天啓、未知の世界から使者として一人の田舎少年の柴の戸ぼそにおとずれたようなものであったらしい。 当時は・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・そのさまを油絵にかかした額が客間にかかっていました。霧があって小雨が降って、誠に静かな日でした。 ゼネヴからベルン、チューリヒ、ルツェルンなどを見て回りました。ルツェルンには戦争と平和の博物館というのがあって、日露戦争の部には俗悪な錦絵・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・浴衣一枚の事で、いろいろの艶しい身の投げ態をした若い女たちの身体の線が如何にも柔く豊かに見えるのが、自分をして丁度、宮殿の敷瓦の上に集う土耳其美人の群を描いたオリヤンタリストの油絵に対するような、あるいはまた歌麿の浮世絵から味うような甘い優・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫