・・・ 又 しかし又泰然と偶像になり了せることは何びとにも出来ることではない。勿論天運を除外例としても。 天国の民 天国の民は何よりも先に胃袋や生殖器を持っていない筈である。 或仕合せ者・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・を張って、小形の仏龕、塔のうつし、その祖師の像などを並べた下に、年紀はまだ若そうだが、額のぬけ上った、そして円顔で、眉の濃い、目の柔和な男が、道の向うさがりに大きな塵塚に対しつつ、口をへの字形に結んで泰然として、胡坐で細工盤に向っていた。「・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ ゆえに渠は泰然と威厳を存して、他意なく、懸念なく、悠々としてただ前途のみを志すを得るなりけり。 その靴は霜のいと夜深きに、空谷を鳴らして遠く跫音を送りつつ、行く行く一番町の曲がり角のややこなたまで進みけるとき、右側のとある冠木門の・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・僕にはとても兄さんのようには泰然としておれない。もっともそれでないと、小説なんかというものは考えられまいからなあ」「そうでもないさ。僕もこのごろはほとんど睡れないんだぜ。夜は怖いからでもあるが、やはり作のことや子供らのことが心配になるん・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・けれども大隅君は、どういうものか泰然たるものであった。十一時頃、やっとお目ざめになり、新聞ないかあと言い、寝床に腹這いになりながら、ひとしきり朝刊の検閲をして、それから縁側に出て支那の煙草をくゆらす。「鬚を、剃らないか。」私は朝から何か・・・ 太宰治 「佳日」
・・・熊本君は、泰然としていた。「ここは、女の子がいないから、気がとても楽です。」やはり、自分の鼻に、こだわっている。「ビイルを飲めば、いいじゃないか。」佐伯は、突然、言い出した。「そこに、ずらりと並んである。」 見ると、奥の棚にビイルの・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・謂わば、泰然と腰を抜かしている類かも知れなかった。 雨戸をあけ、「さ、はいりたまえ。」いよいよ、いけなかった。たしかに私は、あの、悠然と顛倒していた組に、ちがいなかった。江戸の小咄にも、あるではないか。富籤が当って、一家狂喜している・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ 鶴は、大闇師のように、泰然とそう答えて、笑った。 その下には紺碧にまさる青き流れ、 その上には黄金なす陽の光。 されど、 憩いを知らぬ帆は、 嵐の中にこそ平穏のあるが如くに、 せつに狂瀾怒濤をの・・・ 太宰治 「犯人」
・・・温泉宿の一室に於いて、床柱を背負って泰然とおさまり、机の上には原稿用紙をひろげ、もの憂げに煙草のけむりの行末を眺め、長髪を掻き上げて、軽く咳ばらいするところなど、すでに一個の文人墨客の風情がある。けれども、その、むだなポオズにも、すぐ疲れて・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・是僕をして新聞記者の中傷を顧みず泰然としてカッフェーの卓子に倚らしめた理由の第四である。 僕のしばしば出入したカッフェーには給仕の女が三十人あまり、肩揚のある少女が十人あまり。酒場の番をしている男が三四人、帳簿係の女が五六人、料理人が若・・・ 永井荷風 「申訳」
出典:青空文庫