・・・ そして、自分はみすぼらしい服装に甘んじながら、妹の卒業の日をまるで泳ぎつくように待っているうちに、さすがに無理がたたったのか、喜美子は水の引くようにみるみる痩せて行った。「こんな痩せた達磨さんテあれへんわ。」 鏡を見て喜美子は・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・もし今度も墜落であったなら、泳ぎのできるK君です。溺れることはなかったはずです。 K君の身体は仆れると共に沖へ運ばれました。感覚はまだ蘇えりません。次の浪が浜辺へ引き摺りあげました。感覚はまだ帰りません。また沖へ引き去られ、また浜辺へ叩・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ 自分、自分の意識というもの、そして世界というものが、焦点を外れて泳ぎ出して行くような気持に自分は捕らえられた。笑っていてもかまわない。誰か見てはいなかったかしらと二度目にあたりを見廻したときの廓寥とした淋しさを自分は思い出した。・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・三四丁のぼると、すきを伺って、相手の頸もとへひらりと飛びこんでくるシャモのように、舳の向きをかえ、矢のように流れ下りながら、こちらへ泳ぎついてきた。そして、河岸へ這い上ると、それぞれの物を衣服の下や、長靴の中にしのばして、村の方へ消えて行っ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・が、素捷い身のこなし、足の踏立変えの巧さで、二三歩泳ぎはしたが、しゃんと踏止まった。「エーッ」 今度は自分の不覚を自分で叱る意で毒喝したのである。余程肚の中がむしゃくしゃして居て、悪気が噴出したがっていたのであろう。 叱咤したと・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・若しスバーが水のニムフであったなら、彼女は、蛇の冠についている宝玉を持って埠頭へと、静かに川から現れたでしょうに、そうなると、プラタプは詰らない釣などは止めてしまい、水の世界へ泳ぎ入って、銀の御殿の黄金作りの寝台の上に、誰あろう、この小さい・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・こんなにたくさんの人のまえで海へ身を躍らせたならば、ただいたずらに泳ぎ自慢の二三の兵士に名をあげさせるくらいの結果を得るだけのことであろう。私は、荒れている灰色の海をちらと見ただけで、あきらめた。橋のたもとの望富閣という葦簾を張りめぐらせる・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・天気が良いとスワは裸身になって滝壺のすぐ近くまで泳いで行った。泳ぎながらも客らしい人を見つけると、あかちゃけた短い髪を元気よくかきあげてから、やすんで行きせえ、と叫んだ。 雨の日には、茶店の隅でむしろをかぶって昼寝をした。茶店の上には樫・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・もっとも親鳥がこんな格好をして水中を泳ぎ回ることは、かつて見たことがない。この点ではかえって子供のほうが親よりも多芸であり有能であるとも言われる。親鳥だと、単にちょっと逆立ちをしてしっぽを天に朝しさえすればくちばしが自然に池底に届くのである・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・一方ではまた、何事とも知れぬ極度の恐怖に襲われて、氷塊の間の潮水をもぐって泳ぎ回る可憐な子熊もやがて繩の輪に縛られて船につり上げられる。そうして懸命の力で反抗しあばれ回る。「ひどく一同を手こずらせた」と探険隊長の演説の中でも紹介されているが・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
出典:青空文庫