・・・用を勤めるようになったのですが、あの時の火事で入道さまが将軍家よりおあずかりの貴い御文籍も何もかもすっかり灰にしてしまったとかで、御所へ参りましても、まるでもう呆けたようになって、ただ、だらだらと涙を流すばかりで、私はその様を見て、笑いを制・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・な研究になったり、ラジオでまで放送されて、当の学者は陰で冷や汗を流すのである。この新聞記事を読んだ人は相当な人でも、あたかも「椿の花の落ち方を見て地震の予知ができる」と書いてあるかのような錯覚を起こす。そうして学者側の読者は「とんでもなく吹・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・でも淪落の女が親切な男に救われて一│皿の粥をすすって眠った後にはじめて長い間かれていた涙を流す場面がある。「勧進帳」で弁慶が泣くのでも絶体絶命の危機を脱したあとである。 こんな実例から見ると、こうした種類の涙は異常な不快な緊張が持続した・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・僕は臆病で、血を流すのが嫌いである。幸徳君らに尽く真剣に大逆を行る意志があったか、なかったか、僕は知らぬ。彼らの一人大石誠之助君がいったというごとく、今度のことは嘘から出た真で、はずみにのせられ、足もとを見る暇もなく陥穽に落ちたのか、どうか・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・「僕のも流すのかい」「流してもいいさ。隣りの部屋の男も流しくらをやってたぜ、君」「隣りの男の背中は似たり寄ったりだから公平だが、君の背中と、僕の背中とはだいぶ面積が違うから損だ」「そんな面倒な事を云うなら一人で洗うばかりだ」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・彼は立板に水を流すがごとくびび十五分間ばかりノベツに何か云っているが毫もわからない。能弁なる彼は我輩に一言の質問をも挟さましめざるほどの速度をもって弁じかけつつある。我輩は仕方がないから話しは分らぬものと諦めてペンの顔の造作の吟味にとりかか・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。 けれどもジョバンニは手を大きく振ってどしどし学校の門を出て来ました。すると町の家々ではこんやの銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきの枝にあ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・「なんだってそんならおれのほうへ流すんだ。」「なんだってそんならおまえのほうへ流すったって、水は流れるから油もついて流れるのだ。」「そんならなんだっておれのほうへ水こないように水口とめないんだ。」「なんだっておまえのほうへ水・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・急に金は持ったが、これまでの文化はそういう若者の日常生活にとざされていたので、所謂気の利いたつかい道が見当つかず、女遊びをすると云ってもやはりこれまでの工場の若者が通った私娼窟へ金を流すという風であるそうだ。 カメラが、こういう青年層へ・・・ 宮本百合子 「カメラの焦点」
・・・ そしてまるで自分をその物語りの中に投げ込んで思うままに涙を流す事を楽しむんです。 けれ共そう云う事を私はいけないと思います。 若い娘の心に同情を呼び起させるためにはいい結果があるかもしれません。 けれ共同情を起させると云う・・・ 宮本百合子 「現今の少女小説について」
出典:青空文庫