・・・どんよりと吉野紙に包まれたような空の光も、浜辺のような白い砂地のかがやきも、見るもののすべての上に灰色の悲しみが水の滲みるように拡がって行った。「あなたはどうしてそんなに悲しそうでしょう。」 連れの女はこう云って聞いた。「何も悲・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・この土地の船乗りの中には二、三百トンくらいの帆船に雑貨を積んで南洋へ貿易に出掛けるのが沢山いるという話であった。浜辺へ出て遠い沖の彼方に土堤のように連なる積雲を眺めながら、あの雲の下をどこまでも南へ南へ乗出して行くといつかはニューギニアか濠・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・生徒が浜辺に大勢居る。女生の海老茶袴が目立って見える。船にのるのだか見送りだか二十前後の蝶々髷が大勢居る。端艇へ飛びのってしゃがんで唾をすると波の上で開く。浜を見るとまぶしい。甲板へ上がってボーイに上等はあいているかと問うとあいているとの事・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・その間に朝日夕日は一万三千五百五回ずつ平和な浜辺の平均水準線に近い波打際を照らすのである。津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くで・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・釜石の港へはいると、何とも知れない悪臭が港内の空気に滲み渡っていて、浜辺に近づくほどそれが猛烈になる。夥しいかもめの群れが渦巻いている。いかの大漁があったのが販路を失って浜で腐ったのであった。上陸後半日もすると、われわれ一行の鼻の神経は悪臭・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・私は応えた。 ひろびろとした道路が、そこにも開けていた。「ここはこの間釣りに来たところと、また違うね」私は浜辺へ来たときあたりを見まわしながら言った。 沼地などの多い、土地の低い部分を埋めるために、その辺一帯の砂がところどころ刳・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・爺さんは浜辺の砂の上から、毎日遠くこれを拝見して、なかなか若いものは活溌だと、心中ひそかに嘆賞しておりました。ある日の事三人で海岸を散歩する事になります。時に、お爺さんは老体の事ですから、石の多い浜辺を嫌って土堤の上を行きます。若い人々は波・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ この上もない絵画の色――山の屍、川の血、砕けたる骨の浜辺。 彫塑の妙――生への執着の数万の、デッド、マスク! 宏壮なビルディングは空に向って声高らかに勝利を唄う。地下室の赤ん坊の墳墓は、窓から青白い呪を吐く。 サア! 行け・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・陽炎で広い浜辺が短くゆれている……。川ふちを、一匹黒い犬が嗅ぎ嗅ぎやって来た。防波堤の下に並んで日向ぼっこをしながら、篤介がその犬に向って口笛を吹いた。犬は耳を立て此方を見たが、再び急がしそうに砂に鼻先をすりつけつつ波打ちぎわへ駆け去った。・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・雄大な外洋に向って野島ケ崎の燈台が高く立っている下の浜辺にところどころ燃き火をして、あがって来た海女のひとたちのひとむれが体を温めたりしていた。燃き火のまわりで、子供におっぱいをやっているひともあったりして、そのきっちりと手拭でくくられた頭・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
出典:青空文庫