お三輪が東京の方にいる伜の新七からの便りを受取って、浦和の町からちょっと上京しようと思い立つ頃は、震災後満一年にあたる九月一日がまためぐって来た頃であった。お三輪に、彼女が娵のお富に、二人の孫に、子守娘に、この家族は震災の・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・って教えたのは、私が、十二の時、父母と一緒にはじめて東京の、この家に帰り、祖父は、それまで一人牛込に残って暮していたのですが、もう、八十すぎの汚いおじいさんになっていて、私はまた、それまでお役人の父が浦和、神戸、和歌山、長崎と任地を転々と渡・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・ その後にもう一度、今度は浦和から志木野火止を経て成増板橋の方へ帰って来るという道筋を選んでみた。志村から浦和まではやはり地図にない立派な道路が真直ぐに通っている。この辺の昔のままの荒川沿いの景色がこうしたモダーンな道路をドライヴしなが・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・きのう汽車の窓から見ておいた浦和付近の森と丘との間を歩いてみようと思ったのである。きのう出る時にはほとんどなんのあてもなしであったのが、ただ一度の往復で途中へ数えきれないほどの目当てができてしまった。自分らの研究の仕事でもよく似た事がある。・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ 参議院の法務委員会と裁判所との間に、浦和充子の事件について、見解の相異があり、法務委員会の権限について論議されている。こういう問題も、わたしたちは、人民の基本的人権の擁護とブルジョア的な法律適用による裁判が果して公正なものであるかどう・・・ 宮本百合子 「「委員会」のうつりかわり」
・・・「この次浦和でしょう? 次が与野、大宮です。――大きい停車場だからすぐわかりますよ」「どうも有難うございます。何にしろ始めて此方へ来るもんですから勝手が分らなくって――白岡って処へ参るんですが……」 浦和を出たばかりに、婆さんは・・・ 宮本百合子 「一隅」
私も頂きました資料をよんで感じたことですけれども、やっぱり主人公である浦和充子が、子供を一人でなく三人までも殺したという気持が、このプリントに書かれてある範囲ではわからないのです。あれを読みますと、お魚に毒を入れて煮て、そ・・・ 宮本百合子 「浦和充子の事件に関して」
十一月のお祭りのうちのある午後、用事で銀座へ出かけていたうちの者が、帰って来て、きょうは珍しいものを見たの、といった。浦和の方から、女子青年の娘さんたちが久留米絣の揃いの服装、もんぺに鉢巻姿で自転車にのって銀座どおりを行進・・・ 宮本百合子 「女の行進」
・・・田村俊子さんがアメリカからかえって来て、この間の雨の日、浦和の田舎の名物の鯉こくをいろんなひとと食べにゆき、いろいろ話し、大変面白く感じました。ゴーリキイの小説の中に「アアあの奥さんは、蚊に生きることを邪魔されている」という文句があったが、・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 五十を越した労働者風のその男は、俄に顎を顫わせ、遠目にも涙のわかる顔を、窓から引こめてしまう。 浦和、蕨あたりからは、一旦逃げのびた罹災者が、焼跡始末に出て来る為、一日以来の東京の惨状は、口伝えに広まった。実に、想像以上の話だ。天・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫