一 加賀の国黒壁は、金沢市の郊外一里程の処にあり、魔境を以て国中に鳴る。蓋し野田山の奥、深林幽暗の地たるに因れり。 ここに摩利支天を安置し、これに冊く山伏の住える寺院を中心とせる、一落の山廓あり。戸・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・海に、深林に、また野獣に脅かされた、其の当時の人々は、また、同時に自然の慈愛をも充分に受けることが出来たでありましょう。 地上に住む者は、地の匂いを充分に嗅がなければ、其の生活に徹することが出来ない。それに其の地を離れた時には、もはや、・・・ 小川未明 「草木の暗示から」
・・・ 私は草を敷いて身を横たえ、数百年斧の入れたことのない欝たる深林の上を見越しに、近郊の田園を望んで楽しんだことも幾度であるかわかりませんほどでした。 ある日曜の午後と覚えています、時は秋の末で、大空は水のごとく澄んでいながら野分吹き・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・自分がかつて北海道の深林で時雨に逢ったことがある、これはまた人跡絶無の大森林であるからその趣はさらに深いが、その代り、武蔵野の時雨のさらに人なつかしく、私語くがごとき趣はない。 秋の中ごろから冬の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・すると、たちまちみんなのじき後へ、大きな木が、一どにぎっしり生えのびて、またたく間に大きな大深林が出来ました。兵たいたちは、「おやッ。」と言ってまごまごしながら、その木の間をむりやりにくぐりぬけようともがきました。王子と三人の家来とは、・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・ 顔は銀色に光り髪は深林の様に小さい額の上にむらがりかかる。「死」によって浄化された幼児の稚い美くしさはまぼしいほどに輝き渡る。 只見るさえ黄金色の輝きの許に有るものは美くしいものをまして照されてあるものはすべてのものからはなれ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
出典:青空文庫