・・・ツイ昨年易簀した洋画界の羅馬法王たる黒田清輝や好事の聞え高い前の暹羅公使の松方正作の如きもまた早くから椿岳を蒐集していた。が、椿岳の感嘆者また蒐集家としては以上の数氏よりも遅れているが、最も熱心に蒐集したのは銀座の天居であった。天居といって・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 支那人の呉清輝は、部屋の入口の天鵞絨のカーテンのかげから罪を犯した常習犯のように下卑た顔を深沢にむけてのぞかした。深沢は、二人の支那人の肩のあいだにぶらさがって顔をしかめている田川を睨めつけた。「何、貴様が、ボンヤリしているんだ!・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・その頃偶然黒田清輝先生に逢ったことがあるが「君も今の中に早く写真をうつして置け。」と戯に言われたのを、わたくしは今に忘れない。日本の風土気候は人をして早く老いさせる不可思議な力を持っている。わたくしは専これらの感慨を現すために『父の恩』と題・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫