・・・森は早くから外国に留学した薩人で、長の青木周蔵と列んで渾身に外国文化の浸潤った明治の初期の大ハイカラであった。殊に森は留学時代に日本語廃止論を提唱したほど青木よりも一層徹底して、剛毅果断の気象に富んでいた。 青木は外国婦人を娶ったが、森・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・と私は渾身の力を下っ腹に入れて、叫んだ。……老師さん!……老師さん!……老師さん!……さらに反響がなかった。庫裡に廻って電灯の明るい窓障子の下に立って耳を傾けたが、掛時計のカッタンカッタンといういい音のほかには、何にも聞えてこない。私はまた・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ 四肢萎えて、起きあがることさえ容易でなかった。渾身のちからで、起き直り、木の幹に結びつけた兵古帯をほどいて首からはずし、水たまりの中にあぐらをかいて、あたりをそっと見廻した。かず枝の姿は、無かった。 這いまわって、かず枝を捜した。・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・われらは渾身の気力を挙げて、われらが過去を破壊しつつ、斃れるまで前進するのである。しかもわれらが斃れる時、われらの烟突が西洋の烟突の如く盛んな烟りを吐き、われらの汽車が西洋の汽車の如く広い鉄軌を走り、われらの資本が公債となって西洋に流用せら・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・ ハーレー街の慈善病院監督となった翌年、三十四歳のフロレンス・ナイチンゲールが遂にその渾身の力を傾けて遂行すべき仕事が起った。一八五三年に英露のトルコ分割を目的とするクリミヤ戦争が起った。この戦役におけるイギリス負傷兵の状況の酸鼻が、し・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
・・・住民たちは、侵略の恐ろしい暴力とたたかったのであったが、このたびの第二次世界戦争においても、豊かに波だつ麦畑と、それを粉に挽く風車の故に、ウクライナ自治共和国は渾身の力をふるって敵に当らなければならなかった。 ウクライナの村々から、男は・・・ 宮本百合子 「よもの眺め」
・・・しかも先生は渾身の力を注いで製作しないではいられなかった。そうして芸術的労力そのものが先生の心を満足させた。炎熱の烈しかったこの暑中も、毎日『明暗』を書きつづけながら、製作の活動それ自身を非常に愉快に感じていた。そのため生理的にも今までにな・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫