・・・ ここに女優たちの、近代的情熱の燃ゆるがごとき演劇は、あたかもこの轍だ、と称えて可い。雲は焚け、草は萎み、水は涸れ、人は喘ぐ時、一座の劇はさながら褥熱に対する氷のごとく、十万の市民に、一剤、清涼の気を齎らして剰余あった。 膚の白さも・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 劇を文化の重要件として演劇改良が初めて提言されたのもまた当時であった。陛下の天覧が機会となって伊井公侯の提撕に生じたのだから、社会的には今日の新劇運動よりも一層大仕掛けであって、有力なる縉紳貴女を初め道学先生や教育家までが尽く参加した・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・無線電信も、鉄道も、汽船も、映画や、演劇までも、帝国主義ブルジョアジーは、それを××のために、或は好戦思想を鼓吹するために使っているのである。あらゆるものがすべて軍事上の力を増大するために集中されている。が、それは、ブルジョアジーにとって、・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・弘前の新聞記者たち、それから町の演劇研究会みたいなもののメンバー、それから高等学校の先生、生徒など、いろいろな人たちで、かなり多人数の宴会であった。高等学校の生徒でそこに出席していたのは、ほとんど上級生ばかりで、一年生は、私ひとりであったよ・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・私は過去に於いて、政治運動をした事もある。演劇の団体に関係した事もある、工場を経営した事もある、胃腸病の薬を発明した事もある、また、新体詩というものを試みた事だってある。けれども、一つとして、ものにならなかった。いつもびくびくして、自己の力・・・ 太宰治 「花吹雪」
四十年ほど昔の話である。郷里の田舎に亀さんという十歳ぐらいの男の子があった。それが生まれてはじめて芝居というものを見せられたあとで、だれかからその演劇の第一印象をきかれた時に亀さんはこう答えた。「妙なばんばが出て来て、妙な・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・建築や演劇でも、いずれもかなりな灰色の昔にまでその発達の径路をさかのぼる事ができるであろう。マグダレニアンの壁画とシャバンヌの壁画の間の距離はいかに大きくとも、それはただ一筋の道を長くたどって来た旅路の果ての必然の到達点であるとも言われなく・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ 普通の演劇においてはせりふは本質的要素である。役者の言葉を一言一句聞きのがしてはならない。芝居は見るものであると同じくらいにまた聞くものである。聴覚のほうが主になれば役者は材木と布切れで作った傀儡でもよい。人形芝居がすなわちそれである・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 不自由な環境によって生み出された不自然な現象の一つとして一人の女生徒マヌエラと一人の女教師フロイライン・フォン・ベルンブルヒとの間の不思議な関係が生じ、それがこの映画の演劇的な部分のおもなる骨子となっている。この葛藤に伴なう多くの美し・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ こういう現実味からいうと演劇フィルムは多くははなはだ空疎なものである。プロットにないよけいなものは塵一筋も写さないというのが立て前であるらしい。これは劇の性質上当然のことかもしれないが、舞台で行なわるる演劇とフィルム劇とは必ずしも同じ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
出典:青空文庫