・・・が、女は和尚に頓着なく、じっと畳を見つめながら、ほとんど暗誦でもしているように――と云って心の激動は、体中に露われているのですが――今日までの養育の礼を一々叮嚀に述べ出すのです。「それがややしばらく続いた後、和尚は朱骨の中啓を挙げて、女・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・今迄の詩が休息の状態、若しくは、静息の状態に足を佇めているものとしたら今日の詩は疑と激動の中から生れてくる。然しこうした詩の徴候は或は現在の生活に限られている現象であるかも知れない。しかし、芸術は其の時代の霊魂である。鏡である。詩は其の時代・・・ 小川未明 「詩の精神は移動す」
・・・鏡を見て或る場合心の激動の静まるときもあります。――両親、兄、O及びもう一人の友人がその時に手を焼いた連中です。そして家では今でもその娘の名を私の前では云わないのです。その名前を私は極くごく略した字で紙片の端などへ書いて見たことがありました・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・飛びあがりたいほど、きつい激動を受けたのである。「そうか。そうか。そうですか。」私は、自分ながら、みっともないと思われるほど、大きい声で笑い出した。「これあ、ひどいね。まったく、ひどいね。そうか。ほんとうですか?」他に、言葉は無かった。・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・ また、ある少女が思春期以前に暴行を受けてその時の心の激動の結果が、熱烈な宗教心となって発現する。そうして最も純潔な尼僧の生活から、一朝つまらぬ悪漢に欺かれて最も悲惨な暗黒の生涯に転落する、というような実験を、忠実に行なった作品があると・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・近松や西鶴が残した文章で、如何なる感情の激動をもいい尽し得るものと安心していた。音波の動揺、色彩の濃淡、空気の軽重、そんな事は少しも自分の神経を刺戟しなかった。そんな事は芸術の範囲に入るべきものとは少しも予想しなかった。日本は永久自分の住む・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・――若しこの横われるものが、全裸の女でなくて全裸の男だったら、私はそんなにも長く此処に留っていたかどうか、そんなにも心の激動を感じたかどうか―― 私は何ともかとも云いようのない心持ちで興奮のてっぺんにあった。私は此有様を、「若い者が楽し・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
十一月号の『中央公論』に「杉垣」という短篇を書いた。その評の一つとして武田麟太郎氏の月評が『読売新聞』に出ているのを読んだ。「勤め人夫婦が激動する時代の波濤の中でいかに理性的に生くべきかを追究する次第を叙し」「各人物の・・・ 宮本百合子 「現実と文学」
・・・降伏につづく激動の時期がすぎて、人々の心には、一体ことの真実はどういうものだったのだろうか、とあらためて知ろうとする意志がめざめた。戦争によって人生を変えられてしまった多くの女性の眠られない夜々には、せめて本当のことでもわかったら、と愛する・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
・・・ 今日の世界の歴史が切迫し激動しているということから割り出されて来る社会的な必要と云われるもので目前説明されても、やはり世人のうけた感銘からは消されない人生的なものがある。 今度は商業学校の教育方針が変えられて、従来の個人的な儲け専・・・ 宮本百合子 「今日の耳目」
出典:青空文庫