・・・それが眉の濃い、血色鮮な丸顔で、その晩は古代蝶鳥の模様か何かに繻珍の帯をしめたのが、当時の言を使って形容すれば、いかにも高等な感じを与えていました。が、三浦の愛の相手として、私が想像に描いていた新夫人に比べると、どこかその感じにそぐわない所・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・が、彼女はその上に高い甲板を見上げたまま、紅の濃い口もとに微笑を浮かべ、誰かに合い図でもするように半開きの扇をかざしていた。………「おい、君。」 僕は驚いてふり返った。僕の後ろにはいつの間にか鼠色の大掛児を着た支那人が一人、顔中に愛・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ 昼過きになると戸外の吹雪は段々鎮まっていって、濃い雪雲から漏れる薄日の光が、窓にたまった雪に来てそっと戯れるまでになった。然し産室の中の人々にはますます重い不安の雲が蔽い被さった。医師は医師で、産婆は産婆で、私は私で、銘々の不安に捕わ・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・私たちの性格は両親から承け継いだ冷静な北方の血と、わりに濃い南方の血とが混り合ってできている。その混り具合によって、兄弟の性格が各自異なっているのだと思う。私自身の性格から言えば、もとより南方の血を認めないわけにはいかないが、わりに北方の血・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・ 見えつつ、幻影かと思えば、雲のたたずまい、日の加減で、その色の濃い事は、一斉に緋桃が咲いたほどであるから、あるいは桃だろうとも言うのである。 紫の雲の、本願寺の屋の棟にかかるのは引接の果報ある善男善女でないと拝まれない。が紅の霞は・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・…… 桃も桜も、真紅な椿も、濃い霞に包まれた、朧も暗いほどの土塀の一処に、石垣を攀上るかと附着いて、……つつじ、藤にはまだ早い、――荒庭の中を覗いている――絣の筒袖を着た、頭の円い小柄な小僧の十余りなのがぽつんと見える。 そいつ・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・省作はいくら目をつぶっても、眉の濃い髪の黒いつやつやしたおとよの顔がありありと見える。何もかも行きとどいた女と兄もほめた若い女の手本。いくら憎く思って見てもいわゆる糠に釘で何らの手ごたえもない。あらゆる偽善の虚栄心をくつがえして、心の底から・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・そこは、ずっとある島の南の端でありまして、気候は暖かでいろいろな背の高い植物の葉が、濃い緑色に茂っていました。女の人は、派手な、美しい日がさをさして、うすい着物を体にまとって路を歩いています。男の人は、白い服を着て、香りの高いたばこをくゆら・・・ 小川未明 「お姫さまと乞食の女」
夏の晩方のことでした。一人の青年が、がけの上に腰を下ろして、海をながめていました。 日の光が、直射したときは、海は銀色にかがやいていたが、日が傾くにつれて、濃い青みをましてだんだん黄昏に近づくと、紫色ににおってみえるのでありました・・・ 小川未明 「希望」
・・・毛並に疲労の色が濃い。そんな光景を立ち去らずにあくまで見て胸を痛めているのは、彼には近頃自虐めいた習慣になっていた。惻隠の情もじかに胸に落ちこむのだ。以前はちらと見て、通り過ぎていた。 ある日、そんな風にやっとの努力で渡って行った轍の音・・・ 織田作之助 「馬地獄」
出典:青空文庫