・・・するとグワウッ――グワウッ――という喧噪の断続とともに人びとの顔がみな無意味に見えてゆく。人びとは誰もそんなことを知らず、またそんななかに陥っている自分に気がつかない。――ちょうどそれに似た孤独感が遂に突然の烈しさで私を捕えた。それは演奏者・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・問いなくして倫理学の研究に着手することは無意味である。また問いこそその討究を真剣ならしめる推進機である。いかに問うかということ、その問い方の大いさ、深さ、強さ、細かさがやがてその解答のそれらを決定する条件である。故に倫理学の書をまだ一ページ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・実際大噐晩成先生の在学態度は、その同窓間の無邪気な、言い換れば低級でかつ無意味な飲食の交際や、活溌な、言い換れば青年的勇気の漏洩に過ぎぬ運動遊戯の交際に外れることを除けば、何人にも非難さるべきところのない立派なものであった。で、自然と同窓生・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・そうすればただうっかり無意味で入れたのではない。心あって自分にくれたのである。そう推定したってむりとは言えまい。自分は袖を翳して何だかほろりとなった。 しかし自分は藤さんについてはついにこれだけしか知らないのである。ああして不意に帰った・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・私は自身のこの不安を、友人に知らせたくなかったので、懸命に佐吉さんの人柄の良さを語り、三島に着いたらしめたものだ、三島に着いたらしめたものだと、自分でもイヤになる程、その間の抜けた無意味な言葉を幾度も幾度も繰返して言うのでした。あらかじめ佐・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・君が無学で、下手な作家なら、井原は学者で、上手な作家という事になるようですが、そんな、人を無意味に困惑させるような言葉は、聞きたくないのです。もし君が、これから自分と交際をはじめるつもりであったなら、まず、そんな不要の言いわけは一言もせぬ事・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ うなずいてみせる。 「どうかしたのか」 「病気で、昨日まで大石橋の病院にいたものですから」 「病気がもう治ったのか」 無意味にうなずいた。 「病気でつらいだろうが、おりてくれ。急いで行かんけりゃならんのだから。遼陽・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・校正の穴埋めの厭なこと、雑誌の編集の無意味なることがありありと頭に浮かんでくる。ほとんど留め度がない。そればかりならまだいいが、半ば覚めてまだ覚め切らない電車の美しい影が、その侘しい黄いろい塵埃の間におぼつかなく見えて、それがなんだかこう自・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・今度の家は前のせまくるしい住居とちがって広い庭園に囲まれていたので、そこで初めて自由に接することの出来た自然界の印象も彼の生涯に決して無意味ではなかったに相違ない。 彼の家族にユダヤ人種の血が流れているという事は注目すべき事である。後年・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・例えば悪趣味で人を呼ぶ都会の料理屋の造り庭の全く無意味なこけおどしの石燈籠などよりも、寸分無駄のない合理的な発電所や変圧所の方がどのくらい美しく気持がよいか比較にならないように思われるのである。 進むに従って両岸の景色が何となく荒涼に峻・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
出典:青空文庫