朝食の食卓で偶然箱根行の話が持上がって、大急ぎで支度をして東京駅にかけつけ、九時五十五分の網代行に間に合った。二月頃から、一度子供連れで熱海へでも行ってみようと云っていたが、日曜というと天気が悪かったり、天気がいいと思うと・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・それにしてはあまりに貧弱な露店のような台ではあるが、しかし熱海の間歇泉から噴出する熱湯は方尺にも足りない穴から一昼夜わずかに二回しかも毎回数十分出るだけであれだけの温泉宿の湯槽を満たしている事を考えればこれも不思議ではないかもしれない。ここ・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・去年の秋はこれを岡山の西郊に迎え、その尽るのを熱海に送った。今年下総葛飾の田園にわたくしは日ごとに烈しくなる風の響をききつつ光陰の早く去るのに驚いている。岡山にいたのは、その時には長いように思われていたが、実は百日に満たなかった。熱海の小春・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・はたと困じ果ててまたはじめの旅亭に還り戸を叩きながら知らぬ旅路に行きくれたる一人旅の悲しさこれより熱海までなお三里ありといえばこよいは得行かじあわれ軒の下なりとも一夜の情を垂れ給えといえども答なし。半ばおろしたる蔀の上より覗けば四、五人の男・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・は、貫一という当時の一高生が、ダイアモンドにつられて彼の愛をすてた恋人お宮を、熱海の海岸で蹴倒す場面を一つのクライマックスとしている。明治も中葉となれば、その官僚主義も学閥も黄金魔力に毒されてゆく。 もし、昔の東大の「よき日よき大学」に・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・ 共産党の中央部が破壊を蒙った熱海事件がこの一九三二年十月にあり、そのころ共産党中央委員であった岩田義道が、検挙と同時に殺された。翌一九三三年の二月二十日に小林多喜二が築地署で拷問のために虐殺された。つづいて、野呂栄太郎が検挙され、この・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・ 八月二十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(十国峠、熱海峠〕 八月二十九日 土曜日。 きょうはスエ子、緑郎、紀と江井という顔ぶれで、熱海をまわって十国峠を通り、つい最近出来た強羅公園のドライブウエーを宮の下・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・いか、よし、それを宍が、五円ぐらい貰えると思い、じゃと湯にたのむ、月給が半年なくて丸ビルにいるつとめ人の心理 三等の旅費が出る、○「途中下車も出来ますしね この間静岡へ行ったときも熱海へまわって来ました もう二三遍行きま・・・ 宮本百合子 「SISIDO」
・・・ 後継ぎになる筈の一彰さんという人は、大兵な男であったが、十六のとき、脚気を患った後の養生に祖母はその息子を一人で熱海の湯治にやった。そこでお酌なんかにとりまかれて、それがその人の一生の踏み出しを取り誤らせることになり、廃嫡となった。大・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・溺愛していた祖母、母の母が、金をもたせて熱海へ湯治にやった。明治のはじめ、官員の若様が金をもって熱海へ来たのであったから、とりまきがついてお酌をあてがった。それがはじまりでこの人の一生は惨憺たるものとなった。祖母は、不良少年のようにしてしま・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
出典:青空文庫